取材・文/ふじのあやこ
昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきています。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族(パートナー)を持つようになって感じたこと、親について思うことを語ってもらい、今の家族のかたちを迫ります。
今回お話を伺ったのは、雄一さん(仮名・38歳)。現在、都内にあるメーカーで法人向けの営業として働いています。雄一さんは20代後半の頃からずっと同棲しているパートナーがいるそうですが、両者ともに結婚は望んでおらず、この先も結婚は予定していないとのこと。
義父も妹も嫌いじゃない。でも2人きりの無言が怖かった
雄一さんの大阪府出身で、両親との3人家族。母親は専業主婦で、父親はいつも仕事に忙しく、小さい頃はほとんど遊んでもらえていないそう。職業にもついても「知らない」と言います。
「本当の父親は私が小学校2年生の時に離婚して出て行ったきり、会っていません。父親は離婚前から姿を見ることもほとんどなかったからおそらく働いてはいたんでしょうけど、職種などは知りません。母親から父の話を聞くことは一切なかったし、自らも聞くこともしなくて。何か主だった理由があったわけじゃないけど、聞いたらいけないような感じがしていたんです。小さい頃だったけど、ハッキリ小学校2年生と覚えているのは、それがきっかけで転校を経験しているから。しばらくは大阪の郊外に住んでいた母方の祖父母の家に身を寄せていました」
その後、2年ほどで雄一さんは再度転校を経験。その理由は母親の再婚でした。
「母親が再婚して、相手の男性、義父の住まいがある名古屋に引越しました。2人の馴れ初めは、共通の知り合いからといったザックリとした背景しか知りません。母親の異性の部分なんて知りたくなかったから、追求はしませんでした。義父の第一印象は優しそうな人といった感じで、再婚については特に反対もしていません。まぁ、それから義父の仕事の影響で転校を繰り返すことになるんですが、嫌だったのはそこくらい。少しぎこちない感じはありましたが、ちゃんと可愛がってもらった記憶も残っています」
新たな3人家族になってからの思い出を伺ったところ、家族は“4人”になったとか。
「義父には私より3つ下の娘がいて、お互い再婚同士だったんですよ。向こうは死別していたので立場は少し違いましたが。当時の私は、急にできた義父よりも妹のことで頭がいっぱいでしたね(苦笑)。年上だからこっちから歩み寄らないといけない、しっかりとした兄にならないといけないと、無駄に意気込んでいました。それに、なんとなく義父と息子よりも、義母と娘のほうが揉めそうな感じがするじゃないですか。そうなった時は母親を守らなくてはいけないとも思っていました。2人はすぐに意気投合したので、その心配は杞憂だったんですけどね」
4人家族の仲は、父+息子、兄+妹の組み合わせ以外は良好に進んだそう。
「私と義父、私と妹のペアはどこかずっとぎこちない感じでした。例えて言えば、学校でグループだったら一緒に行動する友人だけど、いざ2人きりにされたら会話がもたなくなる感じですかね。嫌いじゃないけど……、無言が平気な間柄じゃないから話し続けてしまって、話が終わった後にドッと疲れてしまう。当時義父はある少年マンガを買い続けていて、私も義父きっかけで読むようになったので、お互いの会話はいつもそのマンガについてでした。そのことを覚えているのは、それぐらいしか共通の話題がなかったからです」
【自分と義父とのつながりだった母親が、高校生の時に亡くなった。次ページに続きます】