「聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥」という諺がございます。そのことは十分に理解していても、ある程度の年齢に達しますと“今更、聞くに聞けない”という物事があるものです。
そうしたことに含まれるのが「葬儀の作法やしきたり」に関する事柄。「葬儀」は身近な事ではありますが、頻繁に起こる事でもありません。したがって、知識や経験も薄れてしまいがちなものです。さりとて「適当に……」とか「略儀で」というわけにも参りませんので、「葬儀に関する作法・知識」として身に付けておきたいところです。
そこで、この記事では「お清めの塩」について、京都・滋賀で80年の歴史を持ち年間約6,000件の葬儀を施行する、葬祭専門企業・公益社(https://www.koekisha-kyoto.com)がご紹介いたします。
もしもの時、その日の時に、この記事をお役立てください。
目次
お清めの塩について
お清めの塩の使い方
葬式でのお清め
まとめ
お清めの塩について
葬儀に参列すると、会葬礼状に塩が一包入っていることがあります。これは「お清めの塩」といい、葬儀から帰って、身体を清めるためのものです。では、なぜ葬儀の後に、塩で身体を清める必要があるのでしょうか?
清めの塩の由来
日本古来の考え方である「神道」では、「死は穢れ(けがれ)」であると考えられてきました。この「穢れ」の意味は、汚れているという意味の「汚れ」ではなく、「気枯れ(きがれ)」から来ています。気が枯れるという状態を表していて、他のものに伝染するというように考えられているのです。「気枯れ」がうつらないようにするために、「身を清める」ことが必要だとされてきました。身を清めるためのひとつの手段が「塩」だということです。
なぜ塩なのか?
古くから塩には浄化作用がある、と考えられていたようです。日本の神話である古事記において、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉(よみ)の国から戻った時に、穢れを祓うために、海水で禊祓(みそぎばらい)をおこなったとあります。現在でも熊野詣でをする際には、塩垢離(しおごり)といって塩水で手を洗うのが習わし。このように日本の宗教的習俗には、塩は身を清めるものという風習があります。
仏教でも塩は必要?
「お清めの塩」は、神道の考え方に基づくものです。仏教において、その考え方はありません。浄土真宗では、死による穢れを否定しています。よって、浄土真宗での葬式には塩は出てきません。
日本では、神道と仏教の境目なく宗教観は養われ「神仏習合」という考え方が大きく広まっています。よって「お清めの塩」を使うかどうかは、個人の宗教観や考え方に従えばいいでしょう。
お清めの塩を使うタイミング
「お清めの塩」は、葬儀から帰宅した時に身体にふります 。葬式での会葬礼状などに「お清めの塩」が入っていない場合は、家族に頼んで家にある塩を持ってきてもらいましょう。
「お清めの塩」を使うタイミングは、自宅に入る前、玄関先で使うことが多いです。ただし、宗教による考え方や地域の風習などにより使用法は異なります。
塩をふるのを忘れてしまった時は?
「お清めの塩」を身体にふらなかったとしても、何か不吉なことが起こるわけではありませんのでご安心ください。
葬式でのお清め
葬式でのお清めは、塩に限ったものではなく、お酒や食事もお清めと考えられています。例えば、お通夜のあとに振舞われる食事のことを「お清め」と呼ぶのは、そのいわれから。日本酒も神が作った酒とされているため、邪気を祓う力があるとされています。
いずれにせよ、葬式でのお清めについては、宗教や宗派、地域などによっても異なるものです。また身内に限ってはお清めを行わない、と考える人もおられます。
必ずお清めを行わないといけないというものではありませんので、お清めをするかどうかはご家族やご遺族の方などと相談して決めましょう。
まとめ
葬儀や火葬場から戻った人が玄関先で体に塩をふりかけ清める習慣は、宗派によっては特に意味を持たないこともあります。ですから、塩をふるかふらないかは、個人の考え方次第と言えるでしょう。
●取材協力・監修/公益社(https://www.koekisha-kyoto.com)
京都・滋賀で85年に渡り葬儀奉仕の道をひと筋にあゆんでいます。「もしも」のとき安心してお任せいただけるのが公益社です。
●編集/中野敦志(京都メディアライン・https://kyotomedialine.com FB)