祖母を家で一人にしないため、犠牲になったのは私
祖母は定期的に優紀さんの家で暮らすようになったが、本人の意志としては一人暮らしを希望していた。無理やり連れて来られているという思いが強かったのか、小さい頃に触れ合っていた祖母の印象とは違ったという。
「祖母が家に来るようになったのは私が高校生の頃でした。それまでにも家に遊びに来ることもあったし、私たち家族が祖母の家に遊びに行くこともあり、そのときの印象はお世話をしてくれる優しいおばあちゃんという感じでした。定期的にお小遣いをくれたり、母親に怒られている私を庇ってくれたり。でも、私たちの家で定期的にでも暮らすようになった祖母は、別人のようでした。『あれがない』、『あれが欲しい』とかは当たり前で、その要望が何度も続くと、『もう使うってわかっているんだから側に置いといてよ』と文句を言ってくるようになりました」
そのとき、優紀さんは高校生で、弟は中学生で部活をしており、母親もパート勤務を続けていた。家で一人っきりにさせられることを嫌がった祖母のために、家にいるようになったのは優紀さんだった。
「祖母からすると、“わざわざ”来てあげているのに、という思いがあったんでしょうね。『これじゃあ意味ないよね?』と訴えてきました。その言葉を受けて、母親からお願いされたんです。お願いされたのは、部活を定期的に休んでほしいというものでしたが、私はバレー部に入っていて、そんなに休んではチームワークを乱してしまう。だから、辞めることにしました。嫌でしたよ。でも、働いている母親にそんなこと言えないし、弟から部活動を奪うのはかわいそうだったから」
道路の区画整理のために祖母の家がなくなることに。本格的な同居がスタートした。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。