取材・文/ふじのあやこ
昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきています。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたこと、親について、そして子供について思うことを語ってもらい、今の家族のかたちに迫ります。
今回お話を伺ったのは、陵子さん(仮名・30歳)。現在、兵庫にある企業でOLをしています。陵子さんは未婚で現在も両親と同居しており、母親は足の手術を経験したことで少しの補助が必要なため、一人暮らしは考えていないとのこと。陵子さんには同じく関西で別々に暮らす6歳上の兄が一人いるそうです。
親の期待は優秀な兄に。しかし比べることをしなかった両親のおかげで卑屈になることはなかった
陵子さんは兵庫県出身で、両親と6歳上の兄と現在も暮らす一軒家で生まれ育ちます。両親は共働きで、小さい頃は一人ぼっちの家に居たくなかった理由から、ご近所の老夫婦の家によく遊びに行っていたと言います。
「真っ暗な誰もいない家は妙に怖くて、カギを開けても入れなかった。なので、隣の隣に大型犬を飼った老夫婦がいたんですが、その家によく遊びに行っていました。なんでその家に遊びに行けるようになったのか、おじいちゃんおばあちゃんの名前さえも全然覚えていないんですが、その家の庭で犬とずっと遊んでいましたね。何度か夜遅くまで、晩御飯もごちそうになったことがあって、母親が迎えに来た際に2人に謝っていた記憶が薄っすらと残っています」
陵子さんの成績は中の中。お兄さんの成績は学校でいつも10番以内の成績を収めるほど優秀だったことから親の期待は兄に。陵子さんは成績について褒められることも、怒られたことさえも一度もなかったそうです。
「兄は昔から要領が良くて、塾にも通っていなかったのに常に優秀でした。見た目も少し小さかったけど、目鼻立ちはハッキリしていて肌もきれいで。中学生になると私は急に顔じゅうにニキビができてしまって、兄と並ぶのが本当に嫌でしたね。
成績に関しても親から何かを言われたことはありません。めちゃくちゃバカだったらまだ干渉されたのかもしれませんが、普通だったから。両親は厳しいことも言わなかったし、進路も反対されたことはありません。兄と比べられて怒られるなんてこともなかったので卑屈になることもなく、放任主義だったけど両親のことは大好きでしたよ」
陵子さんが中学生の時に兄は大学進学ために上京。最初は寂しかったものの、すぐに3人での生活にも慣れていきます。
「両親、というか母親が寂しそうでしたね。最初の頃、母はほぼ毎日電話やメールをしていました。実は兄は家から通える大学にも受かっていました。その大学は国立で東京の進学する大学よりレベルは上。でも、東京を選んだところから一人暮らしをしたかったんでしょうね。
兄がいなくなってからしばらくすると私はまったく兄のことを思い出さなくなりました(苦笑)。高校生になり、家族といるより友人と過ごす時間のほうが多くなったし、やっぱり兄妹って異性だから何か用事がないと連絡しようと思わないんです。メールアドレスはおろか、携帯番号さえ知りませんでした」
【母親はとにかく兄が大好きだった。次ページに続きます】