取材・文/ふじのあやこ
昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきています。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたこと、親について、そして子供について思うことを語ってもらい、今の家族のかたちに迫ります。
今回お話を伺ったのは、健太郎さん(仮名・35歳)。現在、都内にある会計事務所で働いています。健太郎さんは27歳の時に結婚して、現在は奥さんと4歳の男の子との3人で暮らしています。
小さい頃に両親が離婚。父のことは顔さえも覚えていない
健太郎さんは埼玉県出身で母親との2人暮らし。小さい頃に離婚した父親のことは薄っすら覚えているだけで、いないことについても深く考えることはなかったと言います。
「本当に薄っすらと家におじさんがいた記憶が残っているくらいなので、顔などはまったく覚えていないんですよ。小さい頃は父親について母親に聞いていたみたいですが、自分が覚えている記憶の中には残っていなくて。父親が欲しいとか思ったことも一切なかったですね」
母親は親族が経営する建設業の会社で仕事をしていました。母親の帰宅はいつも17時前後で、帰宅してからも働き続ける母親を見て、自ら率先してお手伝いをしていたそうです。
「母親は家に帰ってきてから料理を作って、洗濯などの家事に追われていて、一緒にゆっくりテレビを見た記憶はあまりありません。小学校高学年の頃から母親の隣で料理を手伝うようになったけど、母親は僕一人の時に火や包丁を使うことを禁止していたから、当時僕が担当していたのはお米を研ぐことだけ。中学に上がる頃には、前日の冷ご飯の残り具合やお弁当などを加味して、今日はこのぐらい炊けばいいかと計算できるようになっていましたね」
小学校の時から母親に面倒をかけないよう意識していたという健太郎さん。そんな手のかからない子に母親も叱ることはなく、肉親から怒られた経験がないと不安そうに語ります。
「小学生の頃は友人と禁止されている場所へ潜入したりなど無茶なこともしていましたが、中学に入ってからはヤンチャなことは少しだけ……、とにかく母親に面倒をかけたらいけないということだけがずっと頭にありました。勉強もそこそこできたし、その頃には料理や、洗濯や掃除もできるようになっていました。そんな僕に対して、母親が叱ることはほぼありませんでした。県内には祖父母の家もあったんですが、祖父母からも怒られたことは一度もなくて。もちろん学校の先生などの大人に怒られた経験はありますが、身内からはない。そのことが、僕が大人になってからある影響を及ぼすことになってしまって」
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