取材・文/ふじのあやこ
昭和、平成、令和と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきています。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたこと、親について、そして子供について思うことを語ってもらい、今の家族のかたちを迫ります。
今回お話を伺ったのは、直美さん(仮名・38歳)。現在、大阪にある飲食店で働いています。直美さんは25歳の時に一度結婚しており、その後離婚。そして36歳の時に再婚して、今は旦那さんと2人暮らしをしています。
生まれたときから母子家庭。面倒は祖父母と兄が見てくれていた
直美さんは京都府出身で、母親と7歳上、5歳上に兄のいる4人家族。生まれた時から父親はおらず、小さい頃の面倒は一番上のお兄さんが見てくれていたと言います。
「母親はバツ2で、兄2人と私はお父さんが違います。でも、私はどちらの父とも会ったことがないので、いまいち実感がないんです。2人の兄は私にずっと優しかったから寂しくもなかったし。母親はさまざまな仕事を転々としていてあまり家にいなかったから、昔の思い出はあまりないんですよ。昔はまったく一緒にいてくれない母親が少し嫌いでした。今なら、女手一つで3人もの子供を育てた苦労がわかるんですけどね」
母親の実家は隣の滋賀県にあり、夏休みなどの長期休暇の時は祖父母の家に預けられていました。祖父母は面倒を見てくれたと言いますが、優しかった記憶はあまりないそう。
「私が預けられるようになったのは、小学校に入ってから。それまでは兄が面倒を見てくれていたんですが、中学に入って部活動が忙しくなったからじゃないかな。預けられていたのは私一人です。
祖父母はちゃんと3食用意してくれたし、洗濯などもしてくれました。でも、楽しくワイワイ過ごした記憶はあまりなくて……。『もう歳でしんどいのに……』というような言葉とともに迷惑そうにされることが多かったですね。それでも母親に行けって言われたらどうしようもなかったから。小学校4年生からは一人で留守番ができると直談判をして、祖父母宅に預けられることはなくなりました」
直美さんは勉強が苦手で、成績も年々下がり続けたものの、家族の誰にも言えず。友人を頼って勉強を教えてもらっていたと言います。
「小学校の頃に一度つまずくと、中学からは新しいことも習うけど、応用になってくるじゃないですか。私は基礎ができていないから、成績は下がる一方でした。中学に入ると、成績が順位で示されるようになって、あまりの自分の頭の悪さに愕然としましたよ……。もう数学なんて、異国の記号にしか見えませんでしたから。でも、家は兄の2人もあまり成績が良くなかったし、母親も忙しそうだったから勉強を教えてほしいとかは言えなかった。勉強は宿題を友人と一緒にやる時に教えてもらっていました。ありがたいことに友人には恵まれたんです。友人は嫌な顔を一切せずに毎回一生懸命教えてくれました。その子とは高校で別々になるんですが、今でも友達ですよ」
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