取材・文/坂口鈴香
呼び寄せた母と二人、家に閉じこもった
冨田珠子さん(仮名・69)が90歳を過ぎた母親ノブヨさん(仮名)を呼び寄せ、同居することにしたのは、10年前のことだ。それまで、ノブヨさんは関西で姉一家と暮らしていたが、姉に末期のがんが見つかったのだ。
「闘病する姉に代わって私が母の面倒を見るつもりで呼んだものの、母は介護サービスなんて必要ない、デイサービスにも行きたくないと言ってあらゆるサービスを拒否しました。母の介護をするぞと意気込んでいた私の気持ちだけが空回りしていました。気負い過ぎていたんだと思います。姉は『お母さんに縛られることはないよ』と言ってくれていたんですが」
ノブヨさんは要支援であったものの、頭もはっきりしていて、身の回りのことも自分でできた。「介護するつもりだった」と冨田さんは言うが、無理に介護サービスを使う必要はなかったのだ。冨田さんが認めるように、「親孝行したい」という思いが先走っていたのだろう。
闘病の末、あっけなく姉が亡くなったことも、冨田さんの気持ちをさらに沈ませることになった。ノブヨさんと二人で家に閉じこもり、冨田さんは追い込まれていった。
終末期について勉強を重ねた
そんなとき、冨田さんは自治体の広報誌で「介護者のつどい」があることを知り、参加してみた。
「会には、介護の先輩方がたくさんいらっしゃって、私なんてまだ序の口だと思いました。思わず泣いてしまったのですが、奥さんの介護を10年以上しているという男性が『思い切り泣けばいいよ』と言ってくださって、肩の力が抜けるようでした」
それから冨田さんは、介護や終末期のことについて熱心に勉強するようになった。勉強会で議論したり、紹介された本を読んだりするうちに、冨田さんの中でノブヨさんのこれからについて理想の形のようなものが見えてきたという。
「特に考えさせられたのが、延命の意味でした。延命は自然の摂理に反しているので、本人にとっては苦しいことを知りました。無駄な延命措置はせず、人は枯れ木のようになって死ぬのが楽なんだと。母もそのようにして見送りたいと強く思ったんです」
100歳の母が倒れた
冨田さんの準備が着々と進む一方で、ノブヨさんは元気に100歳を迎えた。このころになると、さすがに介護サービスも利用しており、デイサービスでの「百寿会」にも喜んで参加していたという。
ところがそれから1か月後、ノブヨさんはショートステイ中に意識を失って救急搬送された。
「誤嚥を起こして、窒息したと連絡が来たんです。病院に駆けつけると、窒息ではなく脳梗塞を起こしていたことがわかりました」
ノブヨさんはその後3回、脳梗塞を起こした。医師からは、「もうこれまでの状態に戻ることはない。寝たきりになるだろう」と言われ、冨田さんはノブヨさんを自宅で看取ろうと決心した。
「お医者さんに『母を自宅に連れて帰ります』と言ったのですが、懸念を示されてしまったんです」
医師から「脳卒中は必ず肺炎を起こします。そうなると本人は苦しいですよ。そんな状態のお母さんをあなた一人で看ることになる。本当にがんばれるんですか?」と聞かれると、「できます」とは言えなかった。
母の遺言【2】に続きます。
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。