取材・文/沢木文
「女の友情はハムより薄い」などと言われている。恋愛すれば恋人を、結婚すれば夫を、出産すれば我が子を優先し、友人は二の次、三の次になることが多々あるからだろう。それに、結婚、出産、専業主婦、独身、キャリアなど環境によって価値観も変わる。ここでは、感覚がズレているのに、友人関係を維持しようとした人の話を紹介していく。
コロナ禍以降、生活保護世帯の進学、自治体の小・中学校の補助金など「格差」にまつわる話題が増えた。人類史全体の格差について解析した、『格差の起源 なぜ人類は繁栄し、不平等が生まれたのか』(オデッド・ガロー著 NHK出版)もベストセラーを続けている。
甲信越地方に住む美樹さん(51歳・看護師)は、親友・晶子さん(自営業・51歳)に「恩知らずだから切ったんですけど、もやもやが残るんです」と憤る。
投資詐欺で一家離散した親友
美樹さんと晶子さんは、小学校から高校3年生まで、12年間も親友として青春時代を過ごした。
晶子さんが東京の大学に進学してからは疎遠になったが、年に1~2回の同窓会では会っていた。急に距離が近くなったのは15年前に晶子さんの両親が投資詐欺に引っかかり、家屋敷を売り払い一家離散した頃から。
「晶子の家は、もともとこっちの人じゃない。戦後に埼玉県あたりから移住してきた家なんです。たしか、母方のお婆さんの実家がこっちのほうだったみたいです。晶子のお母さんは地元で生まれ育ち、お父さんは勤め人をしていましたね。地元でも都会的な家だと評判でした。
どこか優雅な雰囲気で、ウチみたいな農家とは違った。ご両親は頻繁に東京に行き、チャラついていたんです。だから、投資詐欺に引っかかったんでしょうね。ご両親は夜逃げし、音信不通だと聞きました。
晶子は東京に行ってからも、地元によく帰っていました。実家が人手に渡ったときに、泊めてほしいと連絡がありました。もちろん親友の頼みですからOKしましたよ。この町には旅館もホテルもないですしね」
当時のふたりは36歳。晶子さんは独身だった。しかも、晶子さんは一人っ子で、親はもういない。そんな晶子さんに、美樹さんは温かく接した。
「田舎だから、家は広い。主人はガソリンスタンドで働きつつ農家をしている。私は地元の病院で看護師をしていますから、晶子ひとりが寝泊まりしても大した手間じゃないんです。それどころか晶子がいると便利なんですよ。当時、まだ小学生だったウチの子供達の勉強を見てくれたり、料理や掃除を手伝ってくれたり。
晶子も“こっちの実家はいいわね”なんて言ってね。やはり、晶子の実家はプライドが高い変わった家だったから、家庭の味に飢えていたんでしょうね。ウチの娘と息子を自分の子供のように面倒を見てくれました」
晶子さんが来るのは、毎年11月の1週間程度。この頃は農作業も落ち着き、町全体の空気がフワッとゆるくなる頃だという。
「ウチの地方では、稲を刈り取った後、残った落ち穂を燃やす“ワラ焼き”という作業を行うのですが、晶子はその土とワラが焼けるにおいが好きだと言っていたんです。ある夜、晶子が散歩してくると出て行った。こっそり後をついていくと、取り壊された晶子の家の前で泣いていたことがありました。あれはかわいそうで仕方なかった」
【子供が見た、晶子の不倫現場……次のページに続きます】