元教え子の妻は娘が10歳の時に、恋人と出て行った
則夫さんは「男手ひとつで娘を育てた」と言うが、妻は何をしていたのだろうか。
「妻は僕の10歳年下で、僕が45歳……彼女が35歳、娘が10歳の時に出て行ってそれっきり。出てから1か月後に、愛媛県の消印で記入済みの離婚届けが送られてきた。メモなどは何も入っていなかった。僕は目の前にあることは抗わずに受け入れるという性格なので、そのまま提出した」
その後、共通の知人の話では、妻は別の男性と交際していたという。
別の男性に心惹かれた原因は、則夫さんが家庭を顧みないこと。則夫さんは“先生”という立場を第一に考え、海外旅行も行かないどころか、本州からも出ない。
土日は部活の顧問をするので、娘の運動会や学芸会も不参加。妻はたった一人で育児をしているのが空しくなり、知人には「何度か死のうと思った」とつぶやいたという。
「それを相談していた今でいう“パパ友”と駆け落ちしたんだそうだ。人の親になったんだし、社会人なんだし、無責任だろうと思った。だから、連絡を取ろうと思った事もないし、心の底から興味がない。しかし娘は違うんだろうね。10歳のときは泣いてばかりいたけれど、思春期になると“私はお父さんの子だから、お母さんに捨てられた”と言うようになった」
当時10歳の娘の世話は、近くに住む則夫さんの母親が行っていた。
「娘の話では、私の母が“理沙ちゃん(娘)より、あの女(則夫さんの妻)は男の方が好きなんだって”などと吹きこんでいたらしい。“パパ、インランってなに?”とかすごいこと聞いてきて、驚いたけれど、僕の母に吹き込まれたのだろうと。私の母は、元教え子の妻と結婚することを、心の底から反対していたので」
則夫さんが結婚したのは、妻が24歳、則夫さんが34歳。一年後に娘が生まれた。
「教え子だった時は地味だったのに、すっかりきれいになって“先生、ずっと好きでした”と言われたらクラっとくるよね。男と駆け落ちするときに、ウチの貯金を500万円持ち逃げするようなふてぶてしい奴だと思わなかった」
【娘の買い物依存の尻拭いに使った金は、20年間で1千万円を超えた。~その2~】に続きます。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)、『週刊朝日』(朝日新聞出版)などに寄稿している。