15年前、中学生の娘の不登校から距離は縮まった
出会って3年目、桂子さんが28歳のときに、27歳の夫が告白してきたという。
「当時、主人は社費での海外留学が決まっていたんですよね。それで多くの女性社員が色めき立っていた。主人の株が急上昇しているときに、“ずっと好きでした”と言ってくれたんです。恋愛対象として意識したことはなかったのですが、誇らしかったです。あと“この人なら穏やかに暮らせる”と思ってお付き合いすることにしました。それからどんどん彼のことが好きになったんです。彼は横柄なところがひとつもなく、地位や立場で人を判断しませんでした。私にも敬語を使っていたし、清掃員さんや食堂の人からも人望がありましたしね」
その後、1年間の海外留学の帰国後、29歳の桂子さんと28歳の夫は結婚する。
「見送りの空港でプロポーズされ、彼の留学先まで遊びに行ったこともありました。結婚したら、立て続けに2人の娘が生まれて、てんてこ舞い。子供の手が離れたら、義母が倒れて入院したり、長女が不登校になったりして、大変だったんです」
その頃に、ママ友・美恵さん(64歳)と知り合う。当時、2人は40代だった。
「あれは15年ほど前、公立中学校に通っていた娘が半年間不登校になってしまった。内申書の評価が将来を左右する時期に休んでしまったから、心配と怒りと悲しみで寝込んでしまったんです。あの頃は私もまいってしまって心療内科に通っていましたからね。そんなとき、小学校のPTA活動で知り合った美恵さんと近所でバッタリ会い、様子を見に来てくれるようになったんです。彼女は男の子2人、女の子1人を育てており、肝が据わっている。ウチの娘の話も聞いてくれたし、娘に怒鳴り散らして自己嫌悪になる私を慰めてくれたんです」
母・桂子さんを拒否した娘も、美恵さんになら、なんでも話した。そして、娘が通学をするようになっても、桂子さんと美恵さんの交流は続く。
「幼稚園からお互いの子供のことを知っており、小・中と同じだったので、なんとなく面識はあったんです。ただ、娘の不登校のころまではそれほど仲良くしていなかったんです。以降は、学校からの伝達事項を教え合うなど、親しい付き合いをしていました。ウチは主人が忙しくて家にいないから、よくお茶を飲みに来てくれました」
美恵さんも桂子さんも専業主婦。美恵さんは地味で控えめな日本女性というタイプ。夫と同じく人を見た目で判断せず、フラットに接するという。
「私も“主人と美恵さんは性格がそっくりね”などと話していました。本当に油断しきっていたんです」
【似た者同士のアラカンからの愛……その2に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)、『週刊朝日』(朝日新聞出版)などに寄稿している。