取材・文/沢木文
「女の友情はハムより薄い」などと言われている。恋愛すれば恋人を、結婚すれば夫を、出産すれば我が子を優先し、友人は二の次、三の次になることが多々あるからだろう。それに、結婚、出産、専業主婦、独身、キャリアなど環境によって価値観も変わる。ここでは、感覚がズレているのに、友人関係を維持しようとした人の話を紹介していく。
「平凡な私に、こんなドラマみたいなことがあるなんて」と落胆している桂子さん(61歳)。15年来のママ友・美恵さん(64歳)と、桂子さんの夫(60歳)の不適切な関係について悩んでいます。
「この人なら、穏やかに暮らせる」と思って
桂子さんと1歳年下の夫は、35年前に職場で出会う。当時、桂子さんは5年目の事務職員。夫は大学院卒の新入社員だった。
桂子さんと夫が出会った1987(昭和62)年頃は、女性社員は“職場の華”として扱われていた。桂子さんの仕事も、お茶くみや伝票処理が主な仕事だったという。童顔で小柄で明るい桂子さんは、さぞかしモテたことだろう。
「それはモテました。どこに行っても電話番号を聞かれていましたからね。でも、私は遊んでいる男性の軽いノリが苦手だったんです。でも、グループで遊びに行くことは大好きでした。当時はスキーが大ブームで、いろんな人に誘われて、週末ごとに、苗場だ白馬だと行っていました。ある男性から車のなかで強引にキスされたときは、ひっぱたいてやりましたけどね」
当時、デート費用はすべて男が持ち、ブランド物のプレゼントもたくさん受け取ったという。
「主人は一切、浮いた話がなかったし、何も言ってこないので、仕事以上の付き合いはしていなかったんです」
アメリカブランドのハートのネックレスは最高で4つもらったというから、桂子さんのモテっぷりがわかる。
「だから、娘(30歳)が、ワリカンでデートをしていると聞くと、日本は不景気なんだなと思います」
桂子さんの身持ちは固かった。幼いころから「かわいい」と大切に扱われており、軽く扱われることが嫌だったのだ。
「結婚するなら白馬の王子様だと思っていました。ウチの会社は一流企業だったので、結婚するなら会社の人という思いもありましたよ。そもそも、短大卒の私たちは“お嫁さん要員”でしたから。それでいい時代だったんです。でも、そうこうしているうちに、条件がいい男性は別の人と結婚してしまう。当時は“クリスマス(25歳)は嫁き遅れ”などと言われていた時代なのに、私は28歳になってしまった」
上司からはお局扱いされる。会社の制服も似合わなくなり、「あっちの部署の事務のアイちゃんはフレッシュでいいな」なんて声が聞こえてきた。
「今じゃ考えられないでしょうけど、たった35年前ほどまではそんな時代だったんですよ。そんなときに、“ずっと好きでした”と告白してきたのが主人だったんです」
【夫は食堂や清掃のスタッフからも人望があった……次のページに続きます】