歯科医院を後進に譲ることを決める
1年前から、義幸さんが65歳の誕生日に、クリニックを後進に譲る準備を進めていたが、コロナ禍が襲う。
「有り余るくらいの金と余裕、体力があるうちに、後進に譲ろうと思った。彼女にも相応の財産を渡す予定で進め、いい条件で譲ることができた。彼女はいったん退職し、その後も引き続き雇ってもらえることになった。私も時々ヘルプに入ることにした。コロナ前に全部の始末が終わり、まとまった金が残った。その後に、彼女は“こんなときでもないと、私の家の整理ができないからしばらく向こうに泊るね”と言い出て行った。その背中が細くてね。昔はあんなにコロコロしていたのに、この30年間で、シュッとした都会のいい女になっていたよ」
クリニックは一時的に休業に入り、義幸さんは音楽を聴いたり、本を読んだりして、人生で初めて、のんびり過ごす。
「隣に彼女がいないのが寂しかったけれど、向こうの家の整理が終わったら、こっちに来てくれるものだと思っていた」
しかし、2週間たっても、彼女は帰ってこなかった。LINEをしても返信はない。焦る義幸さんの携帯が鳴った。弁護士からだった。
「弁護士は、彼女の財産管理を任されていた。彼は、僕からの彼女へのプレゼントだったマンションを売却した金額の明細と彼女からの手紙を持ってきた。その日のうちに確認すると、僕の口座には、2千万円近くの金が振り込まれていた。彼女からの手紙には、“先生と仕事場で会うと、好きという気持ちが強くなり、別れられなかった。年齢とともに女性としての自信が萎んでいき、自分の家族を持つには今しかないと思った”と書かれていた」
強制的に人と会わなくなり、職場が切り替わるこの機会に、彼女は別れを実行した。
「あれから半年近くたって、相変わらず音信はない。きっと誰かと結婚しているんだろうね。僕はさみしい。本当にさみしい。金はこんなにあるのに、誰もいない。悲しいよね。年下女性と新たに恋をするのは無理だし、コロナだから人に会えない。プロや財産目当ての女性も避けたい。今、彼女から壮大な仕返しをされているような気分です」
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シニア世代に限らず、かつての恋愛や結婚相手は、職場や趣味のサークル、知人の紹介など、相手の人となりがわかる同士が多かった。
長い時間を一緒に過ごす中で、自分の価値観と相手の価値観がずっと同じものだと思ってしまう。
義幸さんのように、自分が良かれと思ってやったことが、相手は求めていないというケースは多々あります。長い時間を過ごしてきたパートナーであっても、常にお互いに寄り添い、意見をすり合わせることが必要なのです。
加えて、「家は買えても、家庭は買えない」という格言がありますが、仕事に邁進してきた人の中には、義幸さんのような結末を迎える人も少なくありません。
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)、『週刊朝日』(朝日新聞出版)などに寄稿している。