取材・文/沢木文
結婚25年の銀婚式を迎えるころに、夫にとって妻は“自分の分身”になっている。本連載では、『不倫女子のリアル』(小学館新書)などの著書がある沢木文が、妻の秘密を知り、“それまでの”妻との別れを経験した男性にインタビューし、彼らの悲しみの本質をひも解いていく。
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お話を伺ったのは、耕司さん(仮名・60歳・フリーランス)。結婚30年、3歳年下、大学の後輩だった妻に離婚を言い渡された。大企業の総合職としてキャリアの一線を働き続けた妻は「これ以上、あなたに対して罪悪感を持ちたくない」と言い残して出て行った。29歳の息子は妻と共に地方に赴任中、27歳の娘も結婚し家庭をもっている。
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27年間、ひたすら妻に滅私奉公した
耕司さんは、第二子が生まれて妻がヒステリックになったことを機に、経営していたレコード店を友人に売却し、家庭に入った。
「まあ、やりたいこともあったけれど、仕方がないと思った。妻は生き生きと輝いているし、子育ては苦にならない……というか楽しかった。日々、子どもは成長し、掃除、洗濯、調理、家計のやりくりはやりがいがある。妻の帰宅時間に合わせて、深夜に起きてお茶漬けを作ったりしてね。僕は専業主夫に向いていた。妻の扶養に入って、扶養範囲内で小遣い稼ぎをしていた。実質、33歳からの27年間、ずーっとぼーっとしていたと言ってもいい」
一方、妻は常に何かの葛藤を抱えていた。「あなたの顔を見ているとホッとする」と言ってくれていたこともあった。
「彼女には地方出身、目立つ美人ではないという劣等感があった。常に勝ち負けにこだわり、人に優劣をつける。僕たちが出た大学は、世間では難関大と言われるところだから、劣等感なんて持たなくてもいいのに、『まだ足りない』と何かを追っていた。僕が意見すると『都会のボンボンになにがわかるの』と言い返される。まあ、僕は、妻が言うように都会のぬるま湯育ちのお坊ちゃんだからねぇ。妻もイラっとするよね」
妻は選民意識も強かった。名門大学卒、大手企業勤務の総合職、二児の母という時代の先端を切り開くようなスペック。それと同時に家事・育児を耕司さんに丸投げしている負い目もあった。
「あの時代に、結婚式を拒んだくらいの人なのに、世間体はとらわれているのが不思議だった。実は、5年前に娘が就職で家を出てから、家庭内別居だったんだよね。僕もあのときはさみしくてギスギスしていたし、妻は僕に対する不満感を隠しもしなかった。ある日、『ここまでしているのに、何が不満なの?』と問い詰めてしまった」
すると、妻は「あなたはいい夫ではない」と言ったという。
「まあ、わかってはいたけれど、妻はビシッとスーツを着た、“三高”のビジネスパーソンの夫がよかったのかもしれない。僕は背こそ高いけれど、それとは真逆だからねえ。あのときに、妻の不満の輪郭が、ビシッとくっきりと形になって、目の前にドーンと置かれた実感があった。『僕は妻の望む夫ではなかったんだ』って思った」
その日から、妻が出ていくまでの数年の間、重苦しい空気に閉じ込められているように感じたという。
「一触即発という感じ。もやもやした煙がパンパンに入った袋の中にいて、そこに針を刺したらはじけちゃうような感じ? 僕は妻の稼ぎで生活していたし、今の家も妻の持ち物。親から受け継いだ資産もあるけれど、僕は次男だから少ない。妻の経済力がないと、まともな老後が送れないと思って、その日から妻を振り向かせようと卑屈になってしまった」
【機嫌をとればとるほど、妻の心は離れて行った。次ページに続きます】