101歳のいまも活躍する現役の日本最高齢ピアニスト、室井摩耶子さん。自分らしく、幸せに生きるコツは、「わたしという『個』、わたしの『心とからだ』の声に従ってきたから」だと言います。そんなマヤコさんの生きる指針をご紹介します。「人生100年時代」と言われるいま、将来の暮らしに漠然とした不安を持っている方のヒントになるはずです。
文/室井摩耶子
70年以上、独身のひとり暮らしを満喫
いっとき、「おひとりさま」という言葉が流行りましたが、わたしは筋金入りのおひとりさまです。70年以上、独身のひとり暮らしを満喫していますので、「おひとりさま」の専門家ね。
わたしが若かりしころは、結婚といえばお見合い結婚でした。日本が中国と戦争を始めたのが、16歳のとき。その4年後にアメリカとの戦争が始まります。わたしの青春時代は、戦争一色でした。友人の中には、お見合い写真だけで結婚し、すぐに旦那様が出征してしまった、という悲劇に見舞われた人もいました。そういう時代です。
わたしの母も例に漏れず、娘には結婚してほしいと願っていたようですが、あまりにも遠い昔のことで、すっかり忘れました(100歳を過ぎると、こういうときに忘れられて便利です)。お見合いも何回かしたはずなのですが、頭陀袋の中を搔き回しても、記憶が引っ張り出せません。
ドイツでのロマンス
ロマンスがなかったわけじゃないんですよ。
ドイツにいるときのことです。お城に住んでいる紳士に、夢中になられたこともありました。その方、かわいらしいの。朝に手紙が届いて、昼には電話が鳴って、夜になるとわたしの部屋の窓の下で、月明かりの中、ウロウロしている。ついには結婚を申し込まれました。
決して嫌いというわけではなかったのですが、わたしには「結婚生活」に割く時間を確保する自信がありませんでした。そのときのわたしは、「とにかくピアノの練習がしたい!」といつも思っていましたから。
もし自分の傍らに他人がいたら、好きなときにピアノが弾けません。わたしにとって何より大切なのは、弾きたいときにピアノを弾くこと。他人と過ごす時間より、ピアノを自由にさわる時間が必要でした。無理をしていたわけではなく、「自分が好き」と思う気持ちに正直にいただけですが、気づくとずっとひとりでした。
いまもピアノに首ったけ
別の男性からはこんなことを言われました。
「あなたと結婚していたら、3日でピアノにヤキモチをやいていただろうな」
そのときわたしは、50歳を超えていましたので、「あら、もっと早く言ってくださればよかったのに」と冗談で返して、笑い合いましたが、ほんとそうね。だってわたしはいまでも、ピアノに首ったけなんですから。
淋しくはないかって?
それはひとりの楽しさを知らない人の台詞ね。夜中に突然、「この音よ!」と思って、飛び起きて気兼ねなくピアノを弾く楽しさが、あなたにわかるかしら? 「おひとりさま」とは、自由人の言い換えです。
それに決してひとりじゃありませんよ。わたしに習いたいと通ってくる生徒さんもたくさんいますし、リサイタルを開けば、それを聴きに来てくださる方がいる。
好きなものがある。これがすべての寂しさを消し去ってくれます。
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『マヤコ一〇一歳 元気な心とからだを保つコツ』(室井摩耶子 著)
小学館
室井摩耶子(むろい・まやこ)
大正10年4月18日、東京生まれ。6歳でピアノを始める。東京音楽学校(現・東京藝術大学)を首席で卒業後、同校 研究科を修了。昭和20年1月に日本交響楽団(NHK交 響楽団の前身)演奏会でソリストとしてデビュー。昭和30年、映画『ここに泉あり』にピアニスト役(実名)で出演。昭和31年にモーツァルト「生誕200年記念祭」に日本代表としてウィーン(オーストリア)へ派遣され、同年、第1回ド イツ政府給費留学生としてベルリン音楽大学(ドイツ)に留学。以後、海外を拠点に13カ国でリサイタルを開催、ドイツで「世界150人のピアニスト」に選ばれる。59歳のとき、演奏拠点を日本に移す。CDに『ハイドンは面白い!』など。平成24年、新日鉄音楽賞特別賞を受賞。平成30年度文化庁長官表彰。令和3年、名誉都民に選定される。101歳のいまも活躍する現役の日本最高齢ピアニスト。