両親の離婚でどちらと住むのか選択を迫られた時、自分の感情に正直に「母親」と答えた

母親や妹との思い出話は流暢に話される宏之さんですが、父親との思い出はまったく出てきません。不仲というわけではなかったようですが。

「私とは別に仲が悪かったわけじゃないですよ。でも、両親の折り合いが小さい頃からあまり良くなくて……。一緒に食卓を囲むこともありましたが、4人で楽しく過ごしたことは覚えていなくて。たまに母親が出かけていて3人になる時はいつも父親が外食に連れて行ってくれていました。そこでは母親のように食事中もうるさくないので、好きなものだけを思いっきり食べられたから、楽しかった記憶が残っていますね。母親は食事に関しては、野菜を食べろとか、しっかり噛めとかうるさかったんですよね」

そんな両親の不仲は中学生の時に別居まで進展することに。そしてその1年後に両親は離婚。妹が母親との生活を選択した時、一瞬父親のことがよぎったものの、宏之さんも母親との生活を選んだそう。

「夜に話し合いの場になって、どちらについていくかを選べって言われました。その時に母親は薄っすら目に涙を浮かべていて、離婚を嫌がっていた妹は大泣き。泣きながらも妹は母親に抱きついて離れずに、しっかりとした意思を感じました。私も父親が一人ぼっちになってしまうということが心の片隅にはあったんですが、母親と一緒にいたかった。その後も父親とは会える関係だったんですが、選択を迫られた時はお別れをするほうと二度と会えないのかもと不安になって、つい自分の考えを優先してしまって。

『母親といたい』といった時の父親の顔は覚えていません」

父親が持ち家だったマンションから出て行ったものの、定期的に会える時間はあったそう。しかしそこには、昔と違う子供たちに気を遣う父親の姿があったと言います。

「祖父母のように孫のようなかわいがり方で、私が欲しがったものを買ってくれるんですよ。その姿がご機嫌取りのように映ったこともあります。やっぱり一緒に住んでいないと、時間を作ってわざわざ会うしかないわけで、そこに気を遣っていたのかな。これは子供を持ったからこそわかる気持ちなんですがね」

宏之さんは母子家庭で15年育った後に結婚、そして離婚。子供と離れ離れで暮らすようになり、当時の父親の気持ちが痛いくらいわかるようになり。【~その2~に続きます】

取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。

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