取材・文/ふじのあやこ
近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。
「祖母が亡くなる前に大人にならないといけなかった。祖父母との生活は温かかったもののどこか寂しくて、祖母の老いを感じることが嫌で仕方なかった」と語るのは、美穂さん(仮名・41歳)。24歳のときに結婚して、現在は2人の子どもを持つ母親です。
母のことは嫌いじゃなかった
美穂さんは東京都生まれで9歳から24歳までは大阪府で育ちます。家族構成は、両親との3人家族から、母親との2人家族、それから祖父母と母親との4人家族に、そして小学生には祖母と母親との3人暮らしを祖母が亡くなるまでしていたと言います。
「複雑な家庭です(苦笑)。父親のことは記憶になくて覚えているのは母親との2人暮らしから。2人暮らしの生活は楽しくありませんでした。母は私に手をあげたりはしないし、既製品のご飯も用意してくれて、服もある程度は買ってくれていました。でも部屋は終始汚くて、基本的に「自分のことは自分でする努力をしてから大人に言いなさい」という人で。お風呂は昔のガス釜やバランス釜といわれるもので使い方がわからなくて、水では寒い冬場にはあまり入れなかった。自分のことだから聞いちゃいけないと思っていたんです。そうなると冬場でも髪がベタベタしてくる……。バレないように洗剤で前髪や頭頂部だけ洗ったことがありました」
そんな生活が終わったのが9歳のとき。大阪の母親の実家で暮らし始めてからは外に出るのが恥ずかしいという思いはなくなったとのこと。しかし、徐々に母親と話す機会が減っていったそう。
「どういう経緯で祖父母と一緒に暮らすことになったのかは知りません。それまで祖父母という存在の人には一度も会ったことがなかった。いきなり家に大人が2人も増えるのはなんとなく嫌でした。何も頼れないのに増えても無駄だって思っていました。でも、それからはちゃんとご飯が出て、洗濯した洋服がある生活になりました。最初の頃はしてもらっている感がなかなか抜けなくてパンツを洗ってもらうのが恥ずかしかったことを覚えています(苦笑)。
今までは母親と会話はあったのですが、祖父母宅で暮らし始めてからは母親と会話を交わすことも一緒の空間にいることもなくなっていって。祖父母と折り合いがあまり良くないのか、部屋に籠ったり帰って来なくなったりを繰り返していました」
【みんな優しかったのに、感情をうまく表現できなかった。次ページに続きます】