取材・文/ふじのあやこ
近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。
「人に無理しても合わせてしまう私は、結婚したらきっと母親のような人間になってしまう。2人の関係が壊れないためにも、今はこの関係性でいいと思っています」と語るのは、明子さん(仮名・38歳)。彼女は現在、大阪府内にある施設の管理スタッフとして働いています。明子さんは未入籍の男性との2人暮らしを続けていて、実家に顔を出すことはないと言います。
祖母だけが味方。その関係さえも父親に支配されていた
明子さんは兵庫県出身で、両親と父方の祖母との4人家族。小さいときに優しかったのは祖母だけだった、と当時を振り返ります。
「家は一軒家で、私と両親の部屋は2階、祖母の部屋は1階にあったんですが、夜眠れないときは祖母の部屋まで行って一緒に寝ていたのを覚えています。夜の家はすごく暗くて怖かったから、祖母の部屋までの道がとても長く感じていました。私は寝つきの悪い子だったんだと思います。夜中に私によく起こされていた祖母ですが、嫌な顔を一切せずにいつも温かく迎えてくれました。それに祖母が足を悪くして2階に上がれなくなるまではいつも寝かしつけもしてくれていて。大好きでした」
小さい頃の両親の印象はどうだったのでしょうか。
「父親は私のことが嫌いだったんだと思います。何をするのにも褒められたことなんてないし、子育てになんか参加していなかったくせに、成績が悪かったり、何かができなかったら文句だけ言ってくるような人。母親は怒られている私を見ても家事の手を一切止めずに、終わった後にこそっと『こうすればお父さんは怒らない』とかのアドバイスをしてくるんです。私のことを世話してくれてはいたけど、なんとなく親だからと義務でやっている感じがしていました。祖母のような温かさは感じませんでした」
祖母がいるときだけは父親は怒ることはなかったそう。しかし、小学生のときに祖母が亡くなったことで家でのお守りを失ったと明子さんは言います。
「祖母と父親も仲良しな感じはしなかったけど、父親の気配が小さくなるんです。祖母の前では私を叱ることもなかったですから。
祖母が亡くなったのは小学校4年生のとき。私は1人でお見舞いに行くことを父親に禁止されていて、母親は私が学校にいる間に病院に行っていたから、入院してからは数回しか会えませんでした。祖母との会う時間を奪われたという思いが強かったけど、両親に文句を言うことはありませんでした。両親の、父親の考えには従うものだという刷り込みがあったんだと思います」
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