取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。(~その1~はコチラ)
今回お話を伺ったのは、都内の有名企業で働いている成美さん(仮名・39歳)。山梨県出身で、両親との3人家族。祖母に厳しく躾けられ、親族間の中では女性はこうあるべきという認識を小さいころから植え付けられていきます。その環境に馴染めず違和感を払拭することができなかった成美さんは親族唯一の例外だった叔母さんと同じく、東京の有名大学を目指し、無事合格します。
「大学に受かったときは、両親も親族みんなも喜んでくれました。親族の中では目立つ存在ではない父親も集まりの最中に酔っ払い、『自分の子が一番賢い』と大声で言ってしまったりとハラハラする場面はありましたが。私自身も今まで私のことを度々母親に注意していた伯父が何も言ってこない姿を見て、晴れ晴れした気分でした」
有名企業に就職しても、次は結婚への圧が止まらない
大学に進学後の東京の暮らしで、いかに自分が狭いところで暮らしていたのかを思い知ります。そして二度と帰りたくないという思いが強くなり、伯父を黙らせることができる有名企業への就職を目指すことに。
「叔母は有名大学には入りましたが、無名の企業に就職して、その数年後に地元で再就職、そして今は地元で結婚して子育てをしています。ということは、有名企業に就職しないといけないということだと思いました。案の定、就職活動を行う時期になると、両親ともに地元で就職しなさいと口を出してきました。さらには祖母の葬儀の席でも少し悲しんだすぐ後に、みんなで私の就職先について意見を交換していたんです。私は席に座ることなく動いていて、その会話に参加さえさせてもらえていないというのに」
そして、希望通り田舎でも名の通った企業へ就職します。しかし進学のときのような喜んだ様子を、両親から感じることはなかったと言います。
「内定が決まったときには、両親から大学進学が決まったときと同じようにほめてもらえる、親族の中で両親が私のことを誇らしく語る姿を想像していました。でも、母親が気にしたのはそのまま東京で暮らすのかということ、そしてどんなに仕事が忙しくても学生時代と同様にお盆やお正月、そして法事への参加はできるのかということでした」
そんな両親に失望しながらも、成美さんは決まり事をしっかりと守り、毎年帰省を続けていました。就職先について親族から何かを言われることはなかったそうですが、20代後半に差し掛かると結婚への注文を毎回お酒の先で言われるようになったんだとか。
「名の知れた企業に入ったことで、地元で就職しろと言われることはなかったけど、その分20代後半から独身でいることをお酒のアテのように毎回話題に出されるようになりました。伯父からは『行き遅れ、手遅れになってしまう』と言われたこともあります。会社でこんな発言をしたらパワハラで訴えることもできるのに、親族間なら許される……。この空間は異常だと思いました」
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