結婚相手だけは、父の言いなりにはならなかった
何もかも管理されていたのに、高校に上がったときから主体性を求められるようになったそう。しかし選んだものすべてを否定されたと言います。
「高校に入ると、バイトはもちろん禁止されていたけど、少ないながら自由に使っていいお金、お小遣いをもらえるようになりました。それに塾などの習い事は継続していたけど、その他は急に自由になったんです。でも管理から解放されたのは形だけで、結局最終的には私が選んだものは否定されて、父の思い通りになるだけ。進路も決められず、高校で初めてできた彼氏とも別れるように仕向けられました。当時は携帯なんてもちろんなくて家の電話のみだったのにつないでもらえず、付き合っていることがバレてからは休みの日に出かけることも禁止されて……。会えるのは学校の時間だけという不満が相手の中でたまり、フラれました。そのときに初めて父親に反抗したんですが、大声でまくし立てられて……、恐怖を覚えましたね」
何度も否定されたことで自分の意見を主張することを芹那さんは諦めます。父親が希望する大学に進学し、父親のお眼鏡にかなう企業へ就職します。
「無駄な努力はやめたんです。父親は上の者にヘコヘコして、下には威圧的な態度を取るような人なので下に見ている私の意見を受け入れてくれる気なんてさらさらない。ただ寛容な父親像を演じたいだけです。それに気づいてからは言いなりになりました。そのほうが楽だったから」
芹那さんが今の旦那さまと出会ったのは25歳のとき。友人の紹介で出会い、27歳のときに一度結婚話が出ますが結婚までに3年を要します。
「どうせ反対されるという思いがあり、なかなか親に言い出せなくて。28歳のときに結婚したい旨を伝えると案の定反対されました。それでも私は彼と結婚したかったから説得を続けたんです。私が初めて見せたあまりのしつこさに父親は『勝手にしろ』と話し合いを放棄したので、勝手にさせてもらいました。
父親は結婚式には参加しないと言い張ったので、夫の家族である義母と義姉と私たちだけで小さな式を行いました。母親は最後まで父親に悪いと言って参加してくれませんでした」
父親との唯一の仲介者であった母親を失った後の2人の関係は。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。