大学生になってもプライベートにまで干渉してくる
勉強だけでなく、プライベートな部分の干渉も酷かったとか。
「学校帰りに遊びに行くときも一度は家に帰って、相手の名前と家の連絡先を書いてからじゃないと行けませんでした。一度家に帰らずに遊びに行ったときがあったんですが、母親が学校に電話してしまって。家に戻ると先生も一緒にいたんです。先生に迷惑をかけたことが、とても恥ずかしかった記憶が残っています。それ以来、無断外出は一度もしていません。その日は帰ってきた父親から叩かれ、晩ご飯もなしでした。今でこそ叩く躾が悪いとされていますが、当時は普通のことでしたからね。私も自分が悪いことをしたんだからと受け入れていました」
高校に入る頃は携帯が徐々に普及してきた時期。携帯の内容もすべてチェックされていたと言います。
「親のお金で買ったものなんだから、当然だとそのときは思っていました。でも、親に見られるからと友人とのメールにも本音は出せず、本当に仲良しの友人とは手紙でやりとりしていました。
それに、高校生になると異性にも興味がある時期なわけで、男女グループでお祭りに行ったこともあるんですが、私は父親が途中で車で迎えに来て、強制終了させられました。その後は過保護のイメージがついて誰も異性が寄ってきませんでした。私がそれ以上に魅力的ではなかったからでもあるんですけどね(苦笑)」
勉強に厳しかった両親のおかげもあり、高校では成績もアップしていき、大阪府内にある有名大学に進学します。そこで泰代さんは1人暮らしができると思っていたそうですが、猛反対に遭い実家から通うことに。大学生になってからも親の過干渉はなくならなかったそう。
「1限に授業があるときは、5時前起床で学校に行っていました。私の家は最寄り駅から遠くてバスの時間も限られていたので、朝の送りは両親が交代でしてくれました。感謝はしていますが、たまに『もっと近くの学校にすればよかったのに』と文句を言われることもあって。有名大学に入れたことは認めてくれていたはずなのに、本音では県内の近くの大学に行ってほしかったんでしょうね。
大学に入ってからも、帰宅時間を前もって伝えないといけなかったり、友人の家に泊まるときは連絡先を伝えておかなければいけなかったりと、干渉はずっと続きました。それにアルバイトも学校の近くですることは許されず、週末に家の近所のスーパーでレジ打ちをしていましたね。完全にすべてを監視されていました」
異性に対しても制限も多かったくせに、適齢期になると結婚を急かしてくる。社会人になり、親との関係に距離を置くようになるものの……。【~その2~に続きます】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。