妻が働くことを許したことが間違っていた
俊介さんは努力が報われる世界で、順調にステップアップして、65歳の現在、かなりの収入を得ており、資産もある。
「父は中卒の工員で、団地住まいの貧しい生まれだったけれど、ひもじい思いはしたことがなかった。私の母が兄と僕をしっかり育ててくれたから。父が持ってくる少ない給料でやりくりして、自分のことは後回しにして、子供たちに食べさせてくれた。勉強やスポーツでいい成績を取ると喜んでくれて、悪いと励ましてくれた。いつも家にいて、“おかえり”と言ってくれて、大きな愛情で包んでくれた。間違ったことをすると、厳しく叱責された。時には千尋の谷に突き落とされたこともあった。母親というのは、そういうものだと思っている」
俊介さんは、専業主婦の母親に育てられた。自分も同じような家庭を築くために、妻と結婚した。
「上司のすすめの見合い結婚で、妻は当時の言い方で “准看護婦”だった。宮城の農家出身で、高卒で上京し看護専門学校を卒業した。色白で小柄でかわいらしくて、気が強い女性に辟易していた私の好みにぴったりだった」
控えめな性格が気に入り、とんとん拍子で結婚。苦労人の妻は、当時住んでいた社宅の人間関係もそつなくこなしていたという。
「子供も授かり、結婚生活は10年くらい順調だったんだけれど、下の娘が小学校に上がった年に、妻がまた働きたいと言い出した。もちろんダメだと言ったんだけれど、妻は強引に仕事を始めてしまい、黙認せざるを得なかった。あの時に強硬に反対していれば、今のような状況にはなっていなかったと思う」
妻は結婚前と同じキャリアは選ばなかった。夜勤がある看護師ではなく、子育てをしながら勉強して資格を取得し、別の医療関係の仕事についた。それでも、朝8時30分から18時までの勤務で、残業することもあった。
「私の仕事も忙しいから、家は妻に任せていた。妻が働き始めてから、明らかに家がホコリっぽくなっていった。たまに早く帰ると、子供たちだけでコンビニの弁当を食べている。私も若かったからカッと来て、妻を張り倒してやろうと思ったことは何度もある。今思えば、あんなものを食べ、母親に手をかけられておらず、愛情を知らないから、うちの子供たちはダメになってしまったんだ」
妻が子供たちをかまわないから、父親である俊介さんが子供たちをまともに育てようと頑張った。妻が働き始めて5年間、互いに不満を抱え、夫婦関係は冷え込んでいた。
「子供たちの勉強を見てやっても、全然ダメ。妻が仕事をしている間、ゲームだテレビだとうつつを抜かしているから、勉強の楽しさがわからない。妻が愛情をかけないから根気がない。母親がいつも家にいて、後ろでドーンと構えているから、子供は安心して勉強ができると思うんだよね」
俊介さんは、この本音を家族には伝えていない。「時代遅れのオヤジだと思われるからね」と言うが、そう考えていることは家族に伝わっているだろう。
【妻は愛情をかけずに金を出す。「子供を甘やかして何になる」……後編に続きます】
取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)、『週刊朝日』(朝日新聞出版)などに寄稿している。