取材・文/ふじのあやこ
近いようでどこか遠い、娘と家族との距離感。小さい頃から一緒に過ごす中で、娘たちは親に対してどのような感情を持ち、接していたのか。本連載では娘目線で家族の時間を振り返ってもらい、関係性の変化を探っていきます。
「父親は寡黙で、自分から何かを意見するようなタイプじゃありません。一方の母親は自身のやりたいことをはっきりと口にするタイプ。2人の夫婦生活は子どもがいるからということだけでつながっていたようなものでした」と語るのは、亜紀さん(仮名・39歳)。彼女は現在、旦那さまと子どもとの3人暮らしをしています。今は親元からほど近い場所で、両親と一定の距離を保ちつつ生活をしていると言います。
何も意見しない、怒らないが父親の印象
亜紀さんは兵庫県出身で、両親と3歳上に姉のいる4人家族。父親はサラリーマン、母親はさまざまな場所でパート勤務をする兼業主婦で、覚えている団らんにいつも父親はいなかったとか。
「父親は大阪で働いていて、仕事が忙しいのか夜遅くに帰ってきて、1人で黙々と晩ご飯を食べている姿を覚えています。晩ご飯は母親と姉と私の3人だけで、私たちの残りを母親はラップに包んで父親用に準備をしていました。子どもの頃は父親に気を遣うこともなく、すき焼きなどでは私たちが食べ終わった後にはお肉が残ってないこともしばしばあったと思います。でも、父親は何の文句も言わずに用意された晩ご飯を食べていましたね」
休みの日には父親も家に居て、家族で出かけることも多かったそう。しかし、デパートなど行くときには父親は運転手のみの役割で、3人が買い物中はよく喫茶店で時間を潰していたと言います。
「母親は買い物など、どこかに出かけることが大好きだったんです。私たちもその影響を受けてなのか、オシャレすることも大好きだったし、オシャレしてどこかに出かけることも大好きでした。その行きたい場所を決めるのはいつも母親で父親は運転手のみ。デパート内を父親と一緒に歩いた記憶は残っていません。よく行くデパートには1階にコーヒーショップがあって、そこで父親はずっと待っていました。どんなに待たせても怒ることはなかったですね。たまに母親が父親の分の服を買ってあげることがあって、そのときは嬉しそうにしていました」
そんな父親が唯一話す場所が母方の親族との集まりだったそう。
「それは母親のためです。母親は親族と折り合いが悪くて、大きなケンカはないけど、嫌味を言い合うみたいな感じになっていたんです。母親は自分の親や兄弟ともあまり仲が良くなくて、その集まりに行きたがらないことも多かったんですが、そのときはいつも父親が親族に率先して話かけていました。いつも違和感があったんですが、今思うと接待みたいな感じですかね。でも、あれは母親の立場がこれ以上悪くならないように頑張ってくれていたんだと思います」
【母親の計画離婚で、父親が出て行った。次ページに続きます】