文と写真・晏生莉衣

スレブレニツァ(ボスニア・
ヘルツェゴヴィナ)のジェノサイド犠牲者のための追悼墓地

世界の独立国の中でアメリカだけが「子どもの権利条約」の締結していないことを、レッスン15(https://serai.jp/living/1013596)で取り上げました。一方、こうした国際人権条約で、アメリカを含めて数多くの国々が締結しているのに、日本は未締結という条約があります。「集団殺害犯罪の防止及び処罰に関する条約」です。

英語の正式名はConvention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocideで、「集団殺害」というのはGenocideの日本語訳になります。現在では、Genocideをカタカナで「ジェノサイド」とし、一般に「ジェノサイド条約」という略称で呼ばれています。

この条約は第二次世界大戦後、最初に国連で採択された国際人権条約で(1948年採決、1951年発効)、ジェノサイドを国際法上の犯罪であるとし、その防止と処罰について定めています。

では、ジェノサイドとは、どんなことを指すのでしょうか? 

条約では、ジェノサイドを「国民的、民族的、人種的または宗教的な集団の全部または一部を破壊する意図を持って行われる行為」というように規定しています。難解です。わかりにくければ、条約の時代的背景にある第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人大量虐殺について思い起こしてください。このホロコーストのように、特定の人種や民族グループをターゲットとする迫害や殺害がジェノサイドです。そして、こうした非人道的な行為が二度と行われてはならないという戦後の国際的な決意が、この条約を生み出したのです。

「集団殺害」とは?

より具体的な行為については、「集団殺害」という日本語から、特定グループに属する人々を殺害する行為だけがジェノサイドの犯罪だと考えてしまうかもしれませんが、そうではありません。殺害に至らないまでも、特定グループについて身体的にひどい虐待を与える、精神的な虐待を与える、そうした環境での生活を強いる、特定グループ内の出生を妨げる、特定グループの子どもを強制的に他のグループに移すという行為も含まれます。

そして、戦争中であるかないかにかかわらず、こうした犯罪を防止し、処罰することが条約で定められています。

日本はなぜノーアクションを続けるのか

ホロコーストの悲劇を二度と繰り返さないという決意のもとに生まれた大切な国際人権条約である「ジェノサイド条約」ですが、世界では152か国がこれを締結しています(2021年3月現在)。ところが、日本はこれまで仲間入りを果たしていません。G7(主要国首脳会議)のメンバー7か国をとっても、唯一、日本だけがジェノサイド条約に入っていないのです。

基本的な知識として国際条約の締約国になる手順を簡略に説明すると、まず、条約の趣旨に賛同する意思を示すために「署名」をし、のちに「批准」するというツーステップの手続きと、これらの段階を踏まずに「加入」するというワンステップの手続きがあります。前者の場合、署名はしたものの国内事情などから批准はしていないという状態が続くこともあり、アメリカの「子どもの権利条約」の締結状況がこれに当てはまります(レッスン15参照)。

つまり、条約という国際的な取り決めが採択された場合、国は署名、批准、加入のいずれかの手続きを取ることができるのですが、日本は「ジェノサイド条約」に関してそのいずれも行っていません。ノーアクションなのです。いうなれば、「日本はジェノサイド条約とは無関係ですよ」という立場を、戦後まもなく条約ができた当時から現在に至るまで続けてきています。これに対して、世界の主要な先進国である日本の対応としてはなんとも情けないという国内からの批判はかねてからあるのですが、それでもなぜ、日本はこのような立場を取り続けているのでしょうか。

大きな理由として説明に使われるのが、法律的な問題です。ジェノサイド条約を締結した国は、加害者を処罰する法律を作るなどして、ジェノサイド犯罪を防止し、処罰するための手段を取る義務が課せられます。しかし、日本では、条約上の集団殺害などの行為を犯罪化する法律が整っていないとされています。それゆえ、ジェノサイド条約を締結するためには国内法の整備が必要となるのですが、その内容などについて慎重に検討しなければならないというのが、日本の外務省が繰り返してきた見解です。

法律のズレの問題

実はこの、国際法と国内法との間に生じるズレというのは、日本のみならず、どの国でも時に起こりうる問題です。

アメリカが「子どもの権利条約」を批准しない理由についても、概念的なものに加えて、国内法とのズレがあげられています。「子どもの権利条約」では18歳未満のすべての者を「児童」として、児童が罪を犯した場合に少年法のような児童の年齢を考慮した方法で扱われる権利を保障していますが、アメリカでは州によっては児童でも成人と同様の裁判が行われることがあります。ですから、アメリカが「子どもの権利条約」を批准するなら、条約の定めるところにしたがって児童の扱いをすべて是正しなければなりません。

こうしたアメリカの国内事情に比べると、日本は都道府県によって刑法が異なるということはありませんから、ジェノサイド条約締結に向けて法律を整備するのは決してむずかしくはないはずです。それを実現しようとする強いポリティカルウィル(political will)さえあれば、できることなのです。

* * *

子どもの権利条約について取り上げた際にも書きましたが、国際人権条約を結んでいる国が、それにもかかわらず人々の権利を侵害し、大きな条約違反を犯すということが、世界のリアリティとしてよくあります。ジェノサイド条約についても同様で、締約国だからといってジェノサイドの犯罪を行っていないとは限りません。しかし、日本はこの条約自体に参加していないのですから、同じ壇上で議論する資格すらありません。

世界で人種的、民族的マイノリティの人々が苦しめられる事態が頻発しています。国際社会の責任あるメンバーとして、これ以上先送りすることなく、すみやかにジェノサイド条約にコミットすることが、今、日本に求められています。

文と写真・晏生莉衣(Marii Anjo)
教育学博士。20年以上にわたり、海外研究調査や国際協力活動に従事。平和構築関連の研究や国際交流・異文化理解に関するコンサルタントを行っている。近著に国際貢献を考える『他国防衛ミッション』(大学教育出版)。

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