母親は父親の分まで親になろうとした
父親と別々に住むようになってから、母親は過剰なほどに世間体を気にするようになっていきます。
「今思えば、一人で子育てをしなければいけないという使命感なのかもしれませんが、父が居たときにはぼんやりとしかなかった門限が決められたり、服装や友人関係についても何かと口出しをしてくるようになりました。ちょっとでも派手そうな子と仲良くしていると『そんな子と付き合うな』とかも平気で言ってきたり。私が大切にしている友人にそんなことを言われたことで反抗してしまい、高校の頃は母親との仲は最悪でした。目を合わせてもまったく会話しませんでした。あのときは妹という中和剤がなかったら家出していたかもしれません」
母親とは冷戦状態が続きますが、そんな中でも敬子さんが希望する大学への進学などには一切反対せず、大学進学のための予備校費用なども払ってくれていたと言います。
「会話をしなくなってからは、私は母親の視界にできるだけ入らないように揉め事の種を作らないようにしていました。結果、真面目になったんです。世間体を大切にする母親だから、ご近所づきあいなど外面だけは守ろうと思いましたし、それなりの大学を目指せば反対はしないだろうと。当時は父親とも他人行儀だったから、進路は自分一人で決めた感じです。行きたい大学の話は学校の三者面談の直前で伝えて、予備校費用は、リビングの目につくところにパンフレットを置いておくとお金を用意してくれていました。変な親子関係なんですけど、ある意味絶妙なバランスを保っていたのかもしれません」
大学生になり、自由になることを望む娘に対し、それを拒む母親。ちゃんと育ててきた自負がある母親が、大人になった娘の前でとった行動とは。【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。