今秋、大名跡「桂三木助」が復活する。三代目桂三木助の孫が五代目を襲名するのだ。
三代目の祖父は“『芝浜』の三木助”と讃嘆された、粋で鯔背(いなせ)な昭和の名人。四代目の叔父は26人抜きで真打昇進し、天才と目された。血筋を受け継ぐ五代目桂三木助に寄せられる期待は大きい。
五代目桂三木助の襲名披露興行を前に、三代・四代と三木助の芸を間近に見聴きしてきた寄席文字書家の橘左近さん(83歳)が言う。
「通常の真打昇進とは違います。あの三木助の名を継ぐんですから。名門の育ちで、大看板を継ぐのは本当に大変です。しかし、それは宿命みたいなものなのでしょうね。重荷を背負っていることは、本人が一番よく知っていると思います」
大名跡襲名について、当の五代目は自身の逡巡をこう語る。
「正直、三木助の名を継ぐタイミングで悩みました。力が伴わないのに継いでいいものか。師匠(十一代目金原亭馬生)から“継いだ後で名前に助けてもらえ。意識が変化して、名前に相応しい芸になってゆく”。そう諭され、三木助を襲名することを決めました」
名門に生まれた五代目は早くから落語漬けの日々かと思えば、さにあらず。実は叔父の四代目の落語を直に聴いたことさえなかった。
「高校1年生のとき、叔父の『三木助の会』でアンケート回収のアルバイトをした際に、ゲストの春風亭小朝師匠の噺を客席の一番後ろで聴いたのが唯一です。叔父の噺は聴かずに帰りました」(笑)
その叔父がにわかに不帰の人となるのは、五代目が高校2年生の正月3日。そこで“噺家になりたい”という思いが勃然と兆したというから、これは名門の血筋のなせるわざかもしれない。
「その決意を母に告げたんですが、何を言い出すのかと、聞く耳持たずの大反対でした」
母子の攻防を経て、十一代目金原亭馬生に入門したのは平成15年。
その馬生師匠から「独演会を年に3~4回やるように」とのお達しが出たのは、桂三木男の名で二ツ目になってから2年後のこと。記念すべき「桂三木男独演会」の第1回は平成21年5月7日で、ゲストは立川談志であった。それも、談志自身が「俺じゃダメか」と買って出てくれた結果という。
「あいつにゃ、三木助の血が流れている」と談志がつぶやいたのは、その独演会の折だが、さて──。
五代目三木助が得意とするネタのひとつ『宿屋の仇討』は、立川志の輔師匠に教わったものという。
「志の輔師匠は談志師匠の『宿屋の仇討』を聴いて落語家になろうと決めたそうです。そのとき談志師匠が演っていたのは祖父の『宿屋の仇討』だったと聞いています」
三代目三木助以来のお家芸『芝浜』については、二ツ目時代にいささかほろ苦い思いがある。
「26~27歳の頃です。独演会で『芝浜』をやらざるを得なくなった。終演後のアンケートには“すべてに浅い”とありました(笑)。『芝浜』は、どうやっても祖父の三木助の完成形と比較されます」
先の左近さんも言う。
「噺家人生の紆余曲折を経て、磨きぬかれた完成形の三代目の芸と比較しちゃ可哀そうです。本来は四代目三木助が頑張り通して、その間に五代目をつくる、それが順序だったんです。今、若くして三木助を継いだ五代目は、大看板を背中にベタっと貼られてしまっている。
名門出ゆえに引き立てられる反面、周囲の風当たりも強くなる。でも、間違いなく伸びる芸です。皆さん、楽しみに見守ってください」
五代目桂三木助襲名披露興行は9月下旬から始まる──。
【襲名披露興行の日程】
9月21日~30日 鈴本演芸場 夜の部
10月1日~10日 新宿末廣亭 夜の部
10月11日~20日 浅草演芸ホール 昼の部
10月21日~30日 池袋演芸場 昼の部
11月1日~10日 国立演芸場
*新真打3人が日替わりでトリを勤めます。五代目桂三木助の出演日ほか詳細は各演芸場へお問い合わせください。
【小学館CDブック 完全版 三代目桂三木助 落語全集】
昭和29年に芸術祭奨励賞受賞の『芝浜』から『へっつい幽霊』『宿屋の仇討うち』『大工調べ』『崇徳院』、三木助最後の録音となった昭和35年の『三井の大黒』等、全46の音源を収録する。化粧箱入り、CD16枚+B5判、上製本138ページ、価格:本体3万円+税。 問い合わせ先:小学館(電話:03-5281-3555)※こちらから試し読みできます!
※この記事は『サライ』本誌2017年10月号より転載しました。