今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「知識は学習から、人格はスポーツから」
--安部磯雄
東京・新宿区の早稲田大学のすぐ近くに、かつて「安部球場」と呼ばれるグラウンドがあった。早稲田大学の野球部がここで練習していた。
この球場の名前は、早稲田大学野球部の創始者である安部磯雄にちなんでつけられたものであった。
安部磯雄は元治2年(1865)筑前(福岡県)の生まれ。新島襄のもとの同志社に学び、キリスト教徒となった。その後、アメリカのハートフォート大学、ドイツのベルリン大学に留学。帰国後は幸徳秋水や木下尚江とともに社会主義研究会を立ち上げ、社会主義運動に取り組んだ。これはやがて、日本最初の社会主義政党である社会民主党の結成につながる。
彼らは平和主義、民主主義、社会主義を3本柱とし、日露戦争に当たっては非戦論を貫いた。
一方で、安部磯雄は教育者の顔も持っていた。明治32年(1899)から四半世紀にわたり東京専門学校(のちの早稲田大学)の教壇に立ち、掲出のことばを提唱してスポーツ振興に尽力した。早慶戦の歴史もこの頃に始まる。安部がのちに「学生野球の父」といわれる所以がここにある。
今からすると、ちょっと驚いてしまうが、当時は「野球害毒論」なるものを唱える一群もあった。明治44年(1911)8月から9月にかけては、新聞紙上で、新渡戸稲造、乃木希典らが野球は社会に害をもたらすとして批判した。背景には、学生やファンがあまりに野球に熱中し過ぎたことがあったらしい。
これに対して安部は、作家の押川春浪らとともに反論する。安部はその後も、終始一貫して、野球をはじめとするスポーツを擁護し健全なる発展を促す立場に立ち続ける。
庶民の間の野球人気は、結局、衰えることはなかった。
大阪朝日新聞の社会部長の長谷川如是閑が主導する形で、第1回の全国中等学校野球大会(現在の甲子園の高校野球の前身)が開催されるのは、この野球害毒論争から4年ほど後のことであった。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。