徳川幕府への反骨がひしひしと伝わってくる、大阪人の「太閤贔屓」
大阪人は「太閤贔屓(たいこうびいき)」と言われているが、芝居の豊臣秀吉を観ていると、まさしくその通りと頷かされる。
芝居の世界の秀吉の名は、真柴筑前守久吉(ましばちくぜんのかみひさよし)。人形浄瑠璃の『祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)』と『絵本太功記』、歌舞伎独自の狂言『楼門五山桐(さんもんごさんのきり)』に登場する。いずれも主役ではないのだが、脇役ながら重要な存在で、しかも、いずれの久吉も格好良い。
「猿」と呼ばれていた秀吉。残された肖像画を見ても、到底美男子ではないと思うのだが、文楽で久吉に遣われる首(かしら)は颯爽とした二枚目の「検非違使(けんびし)」。歌舞伎『楼門五山桐』で石川五右衛門と対峙する久吉の俳優も白塗りの二枚目だ。
なかでも『祇園祭礼信仰記』「金閣寺の段」の久吉は、天下を狙う謀反人・松永大膳(まつながだいぜん)によって金閣寺の究竟頂(くっきょうちょう)に幽閉された、足利義輝(よしてる)の母・慶寿院(けいじゅいん)を救い出す。桜の木を易々(やすやす)とよじ登り、大セリで金閣寺の大道具を下げながら楼閣の最上階へと到達する場面は痛快だ。
『絵本太功記』でも、十段目では旅僧に身をやつして光秀の母・皐月の隠れ家に潜入し、大詰「大徳寺焼香の段」では、尾田春長(信長)の焼香順を家臣たちが争う場面に、束帯姿で春長の幼君・三法師丸(さんぼうしまる)を守護して悠然と現れる。
久吉の勇姿に、上方の人々が抱いていた「太閤はん」への追慕、徳川幕府への反骨がひしひしと伝わってくるのである。
文/岡田彩佑実
『サライ』で「歌舞伎」、「文楽」、「能・狂言」など伝統芸能を担当。