ライターI(以下I):『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第4回ですが、御三卿のひとつ田安家の当主治察(はるあき/演・入江甚儀)が亡くなりました。治察は、8代将軍吉宗の次男宗武の五男。弟には、後に松平定信となる賢丸(演・寺田心)がいます。
編集者A(以下A):治察の母宝蓮院(演・花總まり)は近衛家出身。まだ記憶に新しい『光る君へ』の藤原道長(演・柄本佑)の流れを汲んでいるわけです。といっても近衛家には後陽成天皇の第4皇子信尋(のぶひろ)が養子に入っていて、宝蓮院の父家久は、戦国時代末期の後陽成天皇の5世孫。しかも、家久の母は霊元天皇の皇女ですから、宝蓮院は高貴なお方ということになります。
I:田安家の当主で、今回亡くなった治察は数えで22歳。こちらは正室宝蓮院の子で、弟の賢丸の生母(香詮院)は側室ということで、治察の異母弟ということになります。
A:弟である賢丸がいるわけですから、賢丸が田安家を継げばいいのでしょうが、「江戸城の闇」がそれを許しませんでした。老中田沼意次(演・渡辺謙)にとって、御三卿は目の上のたんこぶだったのでしょう。
I:8代将軍吉宗を源流とする御三卿も田沼家も、もともと紀州藩から江戸に出てきたんですけどね。
A:田沼意次は9代将軍家重の小姓からスタートして、立身していきます。将軍側近としてどんどん出世し、家重が嫡男家治(演・眞島秀和)に将軍位を譲った際には御用取次という将軍側近でした。
I:本来なら将軍代替わりの際に退任してもよさそうでした。柳沢吉保や間部詮房が将軍側近として権勢を握りますが、その権勢は将軍一代限りだったんですよね。
A:5代将軍綱吉の施政下で絶大な権勢を誇った柳沢吉保も、6代将軍家宣(いえのぶ)のもとでは退任を余儀なくされました。家宣政権で権勢を誇った間部詮房は、家宣の死後5歳で7代将軍となった家継政権でも地位を保ちましたが、吉宗が将軍となると真っ先に罷免されました。
I:ということを考えると、意次の権勢というのは異例なんですね。
A:それだけ意次が優秀だったということもあるでしょう。なんといっても家重が、意次を重用するようにと家治に言い遺したそうなのですが、それだけではなく、家治も意次を側に置いておきたい理由があったと思われます。今後、意次と家治が将棋を指す場面が登場してくるかと思います。『初めての大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」歴史おもしろBOOK』の受け売りですが、家治は将棋が大好きで『御撰象棊攷格(ぎょせんしょうぎこうかく)』という詰将棋に関する著作があるほどだったといいます。一方の意次も将棋好きで、家治同様に将棋を嗜み、「詰将棋」を作ったそうです。
I:ほう。
A:意次ももともと将棋好きなのか、それとも家治に取り入るために将棋を学んだのか判別しませんが、例えば明治の元勲大久保利通は、鹿児島藩時代に島津久光に取り入るために久光の趣味である碁を利用したといわれています。昔も今も上に取り入るには権力者と趣味を同じくするのが効果的ということですね。意次の場合、優秀で、趣味も同じ。しかも、意次を重用する父家重の遺言もある。そんなこんなで将軍二代にわたって重用されたわけです。
I:しかもさらに異例なのは、息子の意知(演・宮沢氷魚)も出世街道を邁進していたことです。これでは周囲のやっかみをかいますよね。その筆頭格が賢丸ということなのでしょう。意次を「足軽あがり」という表現で罵倒します。
A:意次の父意行は、意次が江戸で誕生した際には600石。足軽ではないわけです。それをわかっていながら「足軽あがり」とさげずむのは、そうとうに憎しみをもっているということでしょう。だって、田沼家の「足軽」時代を起点にするなら、そのころ吉宗だって「部屋住み」ですからね。当時を知る人にとってみれば「この部屋住みあがりが!」ということになるかと思うのですが。
【水戸黄門を彷彿させるおもしろ場面。次ページに続きます】