白河小峰城は「日本百名城」のひとつ。

白河藩主の居城であった白河小峰城。写真提供/福島県観光物産交流協会

I:白河藩はだいたい江戸時代を通じて10万石~15万石の藩でした。居城は白河小峰城で日本城郭協会選定の「日本百名城」のひとつです。

A:もともとの御城は、戊辰戦争の際に焼失してしまったそうです。戊辰戦争では二本松城が落城、会津若松城も天守閣が破損しました。白河小峰城には2度ほど登城しましたが、絵図などを参照した上で、1991年に木造で復元されたなかなかに風情のある城郭になっています。

I:戊辰戦争で大破ということは、松平定信以降に悲劇に見舞われたことになりますね。

A:頻繁に藩主の入れ替えのあった白河藩ですが、定信の息子定永は後に伊勢桑名藩初代藩主として転封となります。それ以降は、2代将軍秀忠時代に抜擢された阿部家が入府して幕末まで白河藩をおさめます(1866年に阿部家も転封し、幕末には二本松藩が治めていた)。

I:そして戊辰戦争を迎えてお城が大破したというわけですね。

A:白河藩に代々徳川譜代、親藩の名門が充てられていたのには理由があります。外様の雄仙台藩伊達家の抑えの役割を担っていたのです。ここが歴史のおもしろいところですが、白河小峰城は北への備えを重視したつくりになっていて、南からの対策が疎かになっていたようです。

I:江戸方面から攻められることは、絶対にあり得ないということだったんですね。

A:そうです。まさか新政府軍が攻めてくる世の中になるとは――。そんな白河藩の歴史に思いを馳せながら、田安賢丸の養子問題を考えると、歴史の深さを実感できるのではないでしょうか。

●編集者A:書籍編集者。『べらぼう』をより楽しく視聴するためにドラマの内容から時代背景などまで網羅した『初めての大河ドラマ べらぼう 蔦重栄華乃夢噺 歴史おもしろBOOK』などを編集。

●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好きで、猫の浮世絵や猫神様のお札などを集めている。江戸時代創業の老舗和菓子屋などを巡り歩く。

構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり

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