画鋲の描写と「あやしきわざをしつつ」
竹内:今日も授業のあとで、「『源氏物語』の中の〈あやしきわざをしつつ〉というところは、画鋲をまいたんですか?」といったような質問がありました。
I:画鋲というのは第19回でまひろが宮中で中宮定子(演・高畑充希)と一条天皇(演・塩野瑛久)に拝謁した際に、廊下にまかれていた鋲をまひろが踏んだという場面ですね。一方の「あやしきわざをしつつ」とは『源氏物語』の「桐壺」の巻で、渡殿のあちこちの通路にけしからぬことをし続けてあった、と書かれている部分のことですね。
竹内:ドラマで描かれることで、そういう誤解が定着してしまうといけないなというところはあります。ですが、そういうところから興味を持ってもらって、修正をしながら、それぞれが考えていくということができればいいのかなと思います。「あやしきわざをしつつ」というのが、これまでの研究史のなかでどのように解釈されてきたのか、それが、ドラマではなぜ画鋲になるのか、ということに興味、関心を持って、調べたり考えたりしていってもらえるような方向になればいいなと思います。その辺は、むしろ、私どもが今後そのような方向にむかうように取り組むべきことのように感じています。
A:『光る君へ』の中では、『源氏物語』の場面を想起できるエピソードや小ネタが散りばめられていますが、先生が気になった箇所はありますでしょうか。
竹内:非常に個人的なことでいうと、最初の頃、芸能の散楽の人たちが出てきて、覆面をしていますよね。
I:はい。毎熊克哉さんが演じた直秀らが登場していました。
竹内:『源氏物語』の「夕顔」の巻で、光源氏が夕顔のもとに出かけていく時に、「顔をほの見せたまはず」とあって、顔を隠していくんですね。それが覆面なのか、あるいは袖などで隠していたのか、という議論があります。私は覆面説に立っていますが、そういう「夕顔」の巻の覆面をしていたという説が、散楽の描写に取り込まれているのかなと感じて、個人的には面白いと思って見ていました。覆面といっても、マスクというか、目の下に布を垂らすようなものだったのだと思います。奈良の春日若宮おん祭で舞われる細男といわれる舞でつけられるものと似たようなものではなかったかと思っています。
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