「光る源氏へ―源氏物語をいかに読むか―」
I:ところで、先生は5月25日に東京の明治記念館でお話しされるそうですね。
竹内:25日の講演は「光る源氏へ―源氏物語をいかに読むか―」という題目で、「光る君」と「光る源氏」との間にゆらめきながら現れてくる光源氏という『源氏物語』の主人公についてお話をしてみたいと思っています。『源氏物語』は、光源氏が多くの女性たちと関係を持つ物語、といったようなとらえられ方をされがちなのですが、『源氏物語』の冒頭では「女御更衣あまたさぶらひたまひける」という中で、桐壺帝がひとりの更衣を愛しますよね。多くの女性ではなく、たったひとりの女性を愛するという桐壺帝がいて、そのことによってその更衣が死んでしまう。『源氏物語』はひとりの女性を愛しぬくことによっておこる悲劇というものから始まります。「桐壺」の巻で光源氏は「光る君」と呼ばれますが、「光る君」としての光源氏もまた、藤壺というたったひとりの女性を愛するものとして登場してくるのです。
A:なるほど。『源氏物語』の光源氏は、ひとりの女性を愛しぬく男の姿を描いているのですね。
竹内:そうなんです。たったひとりの、藤壺への恋によって密通という罪を犯して須磨に流れて、一方、その罪によって生まれた冷泉帝の存在が、光源氏に帝の父という立場を与えて、栄華の道を歩ませることになります。そうした物語を「光る君」の物語としてとらえることができるように思います。けれども、光源氏という主人公はそう単純ではありません。次の「帚木」の巻の冒頭では「光る源氏、名のみことごとしう」と、「いろごのみ」を志向する光源氏の姿が語られています。「いろごのみ」というのは、たんなる好色のことではなくて、女性をひきつけてやまない貴公子としての資格で、物語の主人公に欠かせない資質です。「いろごのみ」であろうとする光源氏が「光る源氏」と呼ばれるのです。そして、その「光る源氏」は、さまざまな女性を愛して、四季のうちに女性を配置する六条院に君臨する「いろごのみの王者」となっていきます。そうした王者性を実体として支えるのが帝の父という立場となるのですね。光源氏は、「光る君」的なるものと、「光る源氏」的なるものという相反するものを抱えながら、希有な物語を導いていきます。しかし、そのような光源氏ははたして女性をひとりでも幸せにできたのだろうか。講演では、そのことが厳しく問われる光源氏の晩年の姿についてもお話しできたらと思っています。
A:ドラマでも一途な道長が描かれていますが、しかし光源氏という存在は、相反する両方を持ち合わせていないと光源氏にはならないということで、そこは当たり前ですが道長=光源氏ではないということなんでしょうね。
I:『光る君へ』では、あ、これは『源氏物語』の場面かな? というエピソードが散りばめられています。まひろが体験したことを後年、『源氏物語』に生かしていくんだなと感じていますが、『源氏物語』はもっともっと深い世界を描いているのですね。
A:そのあたりは次週、お話しいただきましょう。
【以下次週】
竹内正彦
昭和38年、長野県生まれ。國學院大學大学院博士課程後期単位取得退学。博士(文学)。群馬県立女子大学専任講師・准教授、フェリス 女学院大学教授などを経て國學院大學文学部日本文学科教授。『源氏物語』を中心とした平安朝文学を専門とする。主な著書に『源氏物語の顕現』『名場面で味わう源氏 物語五十四帖』ほか多数。
竹内正彦先生による『源氏物語』関連講演会「光る源氏へ」の詳細はこちらから。
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●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。「藤原一族の陰謀史」などが収録された『ビジュアル版 逆説の日本史2 古代編 下』などを編集。古代史大河ドラマを渇望する立場から『光る君へ』に伴走する。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2024年2月号の紫式部特集の取材・執筆も担当。お菓子の歴史にも詳しい。『光る君へ』の題字を手掛けている根本知さんの仮名文字教室に通っている。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり