はじめに-小西行長とはどんな人物だったのか?

小西行長といえば、「キリシタン大名」と思われる方は多いかもしれません。また、豊臣秀吉に重用された人物だと記憶している方も少なくないでしょう。「朝鮮出兵」を想起される方も、いらっしゃるかもしれませんね。

では、実際の小西行長はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

NHK大河ドラマ『どうする家康』では、秀吉の信頼が厚い大名(演:池内万作)として描かれます。

落合芳幾画

目次
はじめにー小西行長とはどんな人物だったのか?
小西行長の生きた時代
小西行長の足跡と主な出来事
まとめ

小西行長の生きた時代

出自は堺の豪商である、小西行長。戦国時代の商人は、急成長する新勢力でもありました。彼らは商業活動だけでなく、戦国武将たちとの結びつきも強く、経済面で支えたり、時には戦に参加することもあったようです。

この時代、有力な商人は治安や秩序の維持にあたるなど、広範な権限を有していました。

小西行長の足跡と主な出来事

小西行長の生年は、はっきりとしていません。没年は、慶長5年(1600)です。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。

堺の豪商小西隆佐の子として誕生

小西行長は、堺の豪商・小西隆佐 (りゅうさ)の次男として誕生します(通称・弥九郎)。兄には、如清がいます。

行長の前半生については、わずかなことしか分かっていません。したがって、どういう縁故があったかは判明していませんが、備前・美作の宇喜多直家に仕えることになります。

宇喜多直家の木像

秀吉に重用される

宇喜多直家が織田信長に投降する際、行長は頭角を表していました。その結果、天正8年(1580)頃から秀吉に重用され始め、側近として活躍するのです。翌年、行長は、播磨国室津(むろのつ)で所領を得ました。天正10年(1582)には秀吉から小豆島の管理を任されています。

翌年には舟奉行にも任命されています。商人から舟奉行となるのは、破格の出世だと言えるでしょう。これらの出来事からも、行長がいかに重用されていたかが伝わってきます。

さらに天正16年(1588)には、秀吉の四国・九州攻めに従い、肥後一揆鎮圧に貢献。肥後半国12万石(※14万石、もしくは24万石という説もあり)を領し宇土城主となりました。

宇土城本丸跡に立つ、小西行長公像

朝鮮出兵で一番隊隊長となる。次ページに続きます

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