はじめに-坂本龍馬とはどんな人物だったのか

坂本龍馬

坂本龍馬は、土佐国(現在の高知県)に生まれた幕末の志士です。様々な人から影響を受けながら、形骸化した幕府を倒し、天皇のもとに統一された国家を作る必要があると考えていた龍馬。土佐藩から脱藩したり、非常に仲が悪かった長州藩と薩摩藩に同盟を結ばせたりと、当時では考えられない行動を起こしました。

龍馬を突き動かしていたものは、世界を知りたいという熱い思いと、日本の未来を明るいものにしたいという壮大な夢でした。

立場や価値観の違う人の意見も広く聞き入れ、良いアイデアは積極的に吸収していったとされる龍馬。柔軟性に富み、人望に厚いというイメージがありますが、実際の坂本龍馬はどのような人物だったのでしょうか? 忠実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

NHK連続テレビ小説第108作『らんまん』では、幼少期の主人公・万太郎の心の支えとなった謎多き武者であり、坂本龍馬をモデルとした天狗(演:ディーン・フジオカ)として描かれます。

目次
はじめに―坂本龍馬とはどんな人物だったのか
坂本龍馬が生きた時代
坂本龍馬の足跡と主な出来事
まとめ

坂本龍馬が生きた時代

坂本龍馬は、天保6年(1835)に生まれます。龍馬が生まれた頃、関東地方や東北地方を中心に全国規模で凶作が相次いだ「天保の大飢饉」が発生していました。水不足が原因で発生した飢饉により、多くの人々が餓死してしまいます。

大坂(現在の大阪府大阪市)では、元与力(よりき)の大塩平八郎が幕府への反乱を起こすなど、十分な対策を講じることができなかった幕府に対する不信感が、民衆の間に漂っていました。まさに日本の夜明け前に生まれたとも言える龍馬は、生涯に渡って日本をより良い国にするために奔走することとなるのです。

坂本龍馬の足跡と主な出来事

坂本龍馬は天保6年(1835)に生まれ、慶応3年(1867)に没しました。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。

土佐の商家に生まれる

龍馬は天保6年(1835)11月15日、土佐国の富商「才谷屋」の次男として生まれます。江戸時代の武士階級は細かく区別されており、中でも龍馬のいた土佐藩では、徹底した差別化が行われていました。龍馬の家は商家でしたが、分家して郷士(ごうし、下級藩士の身分)の株を取得したため、武士として見なされるようになりました。

しかし、身分による厳格な差別化に不満を覚えることも多かったそうです。そんな龍馬を献身的に支えた存在が、龍馬の三つ年上の姉・乙女でした。乙女は龍馬に剣術や学問を教えるとともに、彼の良き理解者となったのです。そして、龍馬がまだ幼い頃に母の幸が亡くなると、彼は継母の伊与(いよ)から教育を受けました。

この時、龍馬は姉の乙女とともに、伊与の最初の嫁ぎ先であった川島家にしばしば遊びに行くように。そこで、「ヨーロッパ」というあだ名を持つ外国通の川島猪三郎(いさぶろう)から、世界の国々についての話を聞いたそうです。龍馬が世界について興味を示すようになったのは、こうした経験があったからかもしれません。

黒船来航の衝撃、世界に目を向ける

城下にあった日根野道場で剣術を習った、青年時代の龍馬。剣術の腕を上げた龍馬は、嘉永6年(1853)、剣術修行のために江戸に旅立ちます。同年、ペリー率いる黒船4隻が浦賀に来航し、龍馬も品川の沿岸警備に当たりました。

黒船来航 
大きな黒船を目の当たりにした龍馬は、どうすれば列強諸国から日本を守ることができるのかについて、深く思い悩んだそうです。

この時、龍馬は父に対して、異国を倒してみせるという内容の手紙を送ったそうです。最初は攘夷思想の強かった龍馬。しかし、郷里に帰った後、彼の思想を変える出来事が起こります。それが、河田小龍(かわだしょうりょう)との出会いでした。

河田小龍はアメリカに渡ったジョン万次郎とも交流があり、外国事情に詳しい数少ない人物。龍馬は彼から、列強諸国と対等な関係を築くためには、黒船に負けないほどの大きな船とそれを動かせる人材が必要であると教わります。龍馬はそれまでの攘夷思想から一転、世界に目を向けなければならないと考えるようになったのです。

土佐勤王党加盟と、勝海舟との出会い

文久元年(1861)、全国規模で尊王攘夷運動が活発になる中、親友の武市瑞山(たけちずいざん)が土佐勤王党を結成し、龍馬もこれに加盟します。

翌年、武市の密書を持って長州藩の久坂玄瑞(くさかげんずい)のもとを訪れた龍馬。幕府に頼るのではなく、自らが行動を起こさねばならないという彼の高い志に感銘を受けた龍馬は、土佐藩からの脱藩を決意することに。

藩外へ出るには、藩の許可が必要だった当時。脱藩は、パスポートを持たずに外国へ行こうとするようなものでした。文久2年(1862)、28歳で脱藩した龍馬は江戸に赴き、幕府の軍艦奉行並(ぶぎょうなみ)である勝海舟と出会います。

龍馬は最初、勝を暗殺するつもりだったと言われることもありますが、こちらに関しては諸説あるため、真相ははっきりとわかっていません。勝の考えに共鳴した龍馬は彼に弟子入りし、片腕として活躍するかたわら、海軍の修行にも励むこととなりました。

日本初の商社設立と、薩長同盟締結に成功

勝のもとで順風満帆な生活を送っていた龍馬でしたが、それを妨害する事件が起こります。元治元年(1864)の「池田屋事件」です。過激な尊王攘夷思想を持った志士達が、近藤勇(いさみ)率いる新選組によって一掃された事件。この中には、勝が建設した海軍操練所に属する者もいました。

このような出来事が幕府の怒りを買い、勝は江戸に呼び戻され、操練所も私塾も閉鎖されてしまうのです。脱藩浪士の龍馬は行き場を失ってしまいますが、龍馬は逆境にも挫けませんでした。龍馬は薩摩藩の庇護のもとで、亀山社中という日本初の商社を長崎に立ち上げ、各藩の脱藩浪士を引き入れます。

この組織を媒体として、土佐勤王党のメンバーだった中岡慎太郎とともに、当時犬猿の仲だった長州藩と薩摩藩の手を結ばせることに成功したのです。分かち合うことはないとされていた長州藩と薩摩藩。同盟締結を成功させ、幕府に対抗できる勢力を作り上げた龍馬は、この頃から危険人物として幕府から目をつけられるようになります。

危機一髪の寺田屋事件、海援隊結成。次ページに続きます

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