文/池上信次

「ウェイン・ショーターの代表曲」の続きです。前回(https://serai.jp/hobby/1118686)、ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの2人組グループ、スティーリー・ダンの『彩(エイジャ)』(ABC/1977年発表)のタイトル曲でのソロが、ウェイン・ショーターの「もっとも知られている」演奏と紹介しました。これはセールス200万枚を超えた大ヒット・アルバムということからですが、ジャズの視点からではなくても、このアルバムが紹介されるときには必ずといっていいほど、このウェインのソロが紹介されます。アルバムの中の1曲、その中のソロ・パート(脇役ですよね)がこれほど大きく注目されるのは、ポップスでは珍しい事例といえるでしょう。

ウェインには、いわゆるスタジオ・ミュージシャンの仕事はほとんどないので、スティーリー・ダンのアルバムへの参加は特別なものだったと思われます。いったいどんな経緯、状況でセッション参加に至ったのか調べてみました。

ウェインの評伝『フットプリンツ』(ミシェル・マーサー著、新井崇嗣訳、潮出版社)ではこのレコーディング・セッションについて5ページも割かれています。それによれば「1976年、ウォルターとドナルドはアルバム『彩(エイジャ)(Aja)』の構想を練り始め、今回はもっと大胆にジャズを使ったアルバムにしようと考えた」とあります。続いてウォルターの発言が紹介されていて、「ウェインが第一希望だったんだ」「(前略)ウェザー・リポートでの作品を聞けば、ポップやクロスオーヴァーの何たるかに彼が精通していることは明らかだったからね。そういうのは、ジャズ・ミュージシャンでは珍しかった。彼らは普通、オーヴァーダブをあまり好まないんだ。ポップの様式が分かっていないからね」と、まさにウェインの個性を欲しがっていたことがわかります。さらになかなかウェインから返事がもらえず、代役も考えたということですが、結局「でも、それじゃあダメだって気づいてね、『なんとしてもウェインを捕まえるぞ』と決めたんだ」ということで、ウェインの参加に至りました。

スティーリー・ダンのレコーディングは、「ミュージシャンを厳選し起用する」「多くの注文を出し、何度もソロを演奏させる(ダメなものは躊躇なくボツにする)」「使うパートだけを抜き出し、入念に編集する」というプロセスが知られています。ウェインはどうだったのでしょうか。同書によれば「ウェインのソロのレコーディングはわずか2テイクで終了している。(中略)ウォルターとドナルドはテイク1の始めとテイク2の終わりの部分を繋ぐだけで、破綻のない、完成されたソロにすることができたのである」とのこと。

一方、スティーリー・ダン側の見方はどうかというと、『スティーリー・ダン・ストーリー リーリン・イン・ジ・イヤーズ完全版』(ブライアン・スウィート著、奥田祐士訳、DU BOOKS)にはフェイゲンの発言として「〈彩(エイジャ)〉でのウェインは、ソロを2、3テイクほど吹いている。最初は一種のリハーサルで、彼はそのあと、コードを書き留めた。手ごわい上に覚えにくかったからで、彼はスケールを書き出し、ソロをさらに2テイク吹いた。それをぼくらが合体させたんだ」とあります。ウェインのソロの素晴らしい流れも、ドラムスのスティーヴ・ガッドとのインタープレイもじつは、スティーリー・ダンのセンスと技術によって組み立てられたものというのには驚いてしまいますが、いうまでもなくウェインとガッドという優れた「素材」があってのこと。ちなみにスティーヴ・ガッドのパートは「初見で叩くのがすごくうまい」ので、「最初のテイクで一気に決め」たもの(同書)とのこと。ヒエー。

同書をみると、ドナルドとベッカーのジャズにまつわるエピソードがたくさん紹介されており、彼らがいかにジャズに傾倒・精通していたかがわかります(というより「ジャズ」を演奏しないジャズ・ミュージシャンという感じです)。ウェインの参加は彼らの熱望だったのです。

このほかにもこのソロについてはさまざまなところで紹介されてきていますが、もっとも説得力があるのは、関係する当人たちが出演している映像作品でしょう。それはDVD『彩(エイジャ)』(五十嵐正監修・翻訳、日本コロムビア)というドキュメンタリー。ドナルド、ウォルターらがスタジオで再現演奏をしたりマルチトラック・テープを聴きながら、『彩(エイジャ)』について語るという内容です。当然ウェインの話も出てきます(以下、発言は同作字幕と一部筆者による翻訳・編集)。

「彼(ウェイン)の参加はうれしかった。説得するのにちょっと時間がかかったからね。セッションは嫌いらしい」(ドナルド)

「おそらく不安に感じていたんだよ。僕らが彼に無理な要求をする可能性があると。それもわかるけどね」(ウォルター)

そしてなんとウェインが登場し、インタヴューに答えます(単独収録)。「レコードで演奏してほしいと誘われた。実をいうと『いいね、やるよ』と答えたんだ。彼らがどんなやり方にするか尋ねてきたので、私が演奏することになっている部分のテープを回すだけでいいと答えた。参考までにその前がどうなっているのか、そのあとに何がくるのかを聴いて、それから演奏を始めた」

「マイルス(・デイヴィス)との演奏みたいにならないかと彼が心配していたのを思い出すね。もちろん僕らは全然気にならなかった」(ドナルド)

「スタジオへ行くと、照明が落としてあり、彼らは座っていた。私のミッションはやるべきことをやるだけ。座って気楽に「ヘーイ」と挨拶なんかしないでね。私が育ったところではそういうことはダサいとされていたからね。マイルスがよく言っていたな、(マイルスの口真似で)自分を安売りすることはないってね(笑)」と、あえて(でしょう)深くは入り込まず、ウェインは笑って締めくくっています。

このように、「エイジャ」でのウェインのソロは大名演として今だに語り継がれているわけですが、この曲の中で、ウェインのソロはたった1分間(!)なのです。ウェインの巨大な「存在」を感じさせるストーリーといえるでしょう。

スティーリー・ダン『彩(エイジャ)』(ABC)
「エイジャ」作詞・作曲:ウォルター・ベッカー&ドナルド・フェイゲン
演奏:ドナルド・フェイゲン(ヴォーカル、キーボード)、ウォルター・ベッカー(ギター)、ウェイン・ショーター(テナー・サックス)、ジョー・サンプル(キーボード)、ラリー・カールトン(ギター)、デニー・ディアス(ギター)、チャック・レイニー(ベース)、スティーヴ・ガッド(ドラムス)ほか
発表:1977年

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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