ライターI(以下I):1週間インターバルがあっての第39回。残り10回となりました。いよいよ終盤に入りましたが、今回は、冒頭でのえ(演・菊地凛子)が抱いていた幼子(おさなご)に注目です。この子が後に第7代執権となる北条政村。北条一族の重鎮として、元寇という他国からの侵略戦争に対峙する人物です。
編集者A(以下A):元寇の際に、執権を務めた北条時宗は、義時の玄孫(孫の孫)になります。北条家嫡流は「得宗(とくそう)」と称されるようになりますが、義時の戒名が由来です。そういうことで、時宗にとって、義時実子の政村の存在は心強かったのではないでしょうか。ちなみに2001年の大河ドラマ『北条時宗』では政村を伊東四朗さんが演じました。さりげなく政村を挿入してくるとは、大河ドラマファンのツボを心得ている三谷幸喜さんらしい「演出」です。
I:場面が変わって、なんとナレーションを務めていた長澤まさみさんが侍女として登場しました。前年の『青天を衝け』では、北大路欣也さんの徳川家康が話題になったりしましたが、こういうサプライズは後からじわじわきますから、貴重な場面になりました。政村登場に続いての「演出」が心憎いですね。
A:その流れで、実朝(演・柿澤勇人)が詠んだ〈大海の 磯もとどろに寄する波 割れて砕けて 裂けて散るかも〉が登場しました。ここでこの歌を紹介してくるとは、「作者はこの歌が好きなんだろうなぁ」と思えて感慨深いです。実朝が見た情景がストレートに伝わってくる、私も大好きな作品です。実朝の和歌の中でも、〈箱根路を わが越えくれば伊豆の海や 沖の小島に 波の寄るみゆ〉とともに『金槐和歌集』所収の名高い和歌ですね。
I:今回は、実朝の和歌がけっこう紹介されました。〈今朝見れば 山もかすみて 久方の天の原より 春はきにけり〉だったり、京の藤原定家が添削してくれたという〈宮柱 ふとしきたてて よろづよに 今ぞ栄えむ 鎌倉の里〉の歌も登場しました。
A:実朝には和歌の作品集『金槐和歌集』があります。若き将軍のストレートな思いが凝縮された作品は、実朝自身の短い生涯に思いを馳せた時に、いっそう心にしみ込むものになります。ぜひ、実朝の和歌に触れる機会を作ってほしいと思います。
和田義盛と実朝の主従関係
I:そして、源仲章(演・生田斗真)の登場です。〈今後は鎌倉殿のお側で政を指南するようにと、上皇様に仰せつかりました〉って、なんだかいやらしい感じをうまく表現していますね。仲章が今後どのような場面で、どんな動きを見せるのか? 物語の核心にも関連してくる可能性もありますから、目が離せないですね。
I:和田義盛(演・横田栄司)が〈羽林(ウリン)、遊びに来てしまいました〉と実朝のもとを訪ねます。身分や年齢だとかを超越して妙に馬が合う、なんだかこいつと話していると落ち着くという関係は現代でもありますよね。義盛と実朝は実際にそういう肝胆相照らす主従関係だったようですね。
A:作者のテクニックが絶妙だと思うのは、そうした関係を〈羽林(ウリン)〉というフレーズを出すことでわかりやすくしてくれるところ。そして、自分とは正反対のキャラクターの和田義盛が実朝から信を受けるのはけしからん! という義時の嫉妬心がメラメラと燃え上っていく過程がじわじわと浮き彫りになってくる感じがしています。もちろん、その「じわじわ」が劇中で描かれるかどうかはわかりませんが、嫉妬が憎しみに転じていく予感がします。
I:その和田義盛が、実朝に上総介任官を要望します。それを受けて実朝は政子(演・小池栄子)に相談しますが、ここまではざっくりと『吾妻鏡』の記述通りの展開です。結局政子や義時らの反対で実現しませんでした。『吾妻鏡』では、義盛が大江広元に宛てて嘆願書まで出したことが記されていますが、そこまでしてなりたかったのでしょうね。義時に対して、〈変わっちまったよな。鎌倉もお前も〉と言い放ちます。畠山重忠も〈今の鎌倉は北条のやりたい放題〉と語っていましたから、急速に権力の亡者になっていく義時に対する御家人たちの不満は根強かったのではないでしょうか。
A:この「和田義盛上総介騒動」前後の『吾妻鏡』を眺めていて「へー、そうなんだ」と思うことがありました。「上総介騒動」の合間に、梶原景時とその一族の法事が行なわれているのです。しかも場所は頼朝が葬られた「法華堂」。義時も参加しています。御所の中で怪現象が起きたりしたことが理由で、〈彼の怨霊を宥められんため〉、急に行なわれたようです。重忠や比企ではなく梶原景時の怨霊を恐れるというのがよくわからないのですが……。
【鶴丸に与えられた名の衝撃。次ページに続きます】