北海道の各地まで鉄道が張り巡らされた黄金期。
駅名がびっしり描き込まれた「神業」
3回にわたる今尾恵介さんと福澤朗さんの対談も、いよいよ最終回。今回は戦後の鉄道地図が登場。今尾さんが特に見てほしいと話すのが、最近もたびたび廃線が話題にのぼる、北海道の鉄道である。今尾さん曰く、かつての北海道は鉄道王国と呼べるほど、道内の隅から隅まで鉄道が存在していたという。失われた鉄路から見えてくる、鉄道の未来像やあるべき姿についても、大いに語っていただいた。
【1】『全国旅行案内図』(昭和39年)
全盛期に張り巡らされた鉄道網の完成形
昭和20年に敗戦を迎えた日本はその後、急速な戦後復興と、国際社会への復帰を果たし、昭和30年代には高度経済成長期へ突入。人々の旅行への意欲も復活する「全国の隅から隅まで鉄道網が張り巡らされた黄金時代」と、今尾さんが語る。そして、明治以来続いてきた手仕事による地図作りの完成形を見ることができるのが、昭和39年に刊行された「全国旅行案内図」だ。
福澤朗さん(以下、福澤) 僕が生まれた翌年に発行された地図ですね。うわっ! 文字がすごく細かい!! 虫眼鏡が必要だ! そして、こんなに横に長いんですか。この地図も、日本列島が細長いからこそできる、屏風折り式の地図ですね。
今尾恵介さん(以下、今尾) そうです。日本列島が細長いので、横長にできるのです。図の下には東北本線や中央本線といった、主な路線の沿線案内も載っていて、ボリュームも満点です。
福澤 現在は廃線になる路線が相次いでいますが、日本の鉄道史上、もっとも駅や路線があったのはいつ頃ですか。そして、最盛期には何駅くらいあったのでしょうか。
今尾 現在でも9000駅余りあると思いますが、最盛期には1万5000駅くらいはあったのかな。戦前のピークは昭和12年~13年だと思いますが、戦後に新しくできた駅もありますから、昭和30年代が鉄道の黄金期と言っていいと思います。
福澤 この地図は、日本の鉄道の全盛期を記録したものというわけですね。それにしても、北海道の鉄道は、現在と大きく異なりますね。路線が隈なく張り巡らされ、東京23区のような密度です。
今尾 現在の北海道は、名寄本線などの本線もなくなってしまい、辛うじて骨組みの路線が残っている状態です。しかし、当時はたくさんの本線があり、炭鉱鉄道などの私鉄も多くありました。
福澤 JR以外の北海道の鉄道といえば、失礼ながら、札幌市内の地下鉄くらいのイメージしかありませんでした。かつてはこんなに多くの私鉄があったんですか。
今尾 大夕張鉄道、留萌鉄道、美唄鉄道など、本当にたくさんありましたね。札幌にも定三渓鉄道がありましたが、札幌市営地下鉄の開通に合わせて廃止になりました。
福澤 石炭などの燃料を運ぶ鉄道は全国にありましたが、北海道はとりわけその需要が大きかったんですね。この頃を北海道のピークとすると、今は何駅くらいまで減ってしまったのでしょうか。
今尾 3分の1くらいじゃないでしょうか。あらかたなくなってしまいましたよね。道東なんて、宗谷本線、石北本線、釧網本線、あとは根室本線が辛うじて残っている状態です。北海道の鉄道の黎明期からある函館本線も、一部が北海道新幹線の開通でなくなることが決まっています。
【2】『日本鉄道旅行地図帳(平成20年)
北海道の鉄道の栄枯盛衰を見る
『日本鉄道旅行地図帳』は今尾さんが監修した本で、新旧の鉄道事情を一目で見ることができる鉄道ファン垂涎のシリーズだ。今回は北海道の鉄道について、クローズアップしてみたい。
今尾 『日本鉄道旅行地図帳』は、現在の路線図と合わせて、廃線になった路線図を載せています。手前みそですが、北海道の鉄道の歴史を視覚的に見るには、この本がわかりやすいです(笑)。
福澤 この本は僕も持っていますよ(笑)。改めて見ると、北海道はずいぶん鉄道がなくなってしまったことがわかります。
今尾 廃線になった北海道の鉄道は、圧倒的に道東が多いです。約762ミリのレールの上を馬が牽いていた、植民軌道という開拓者が整備した鉄道もありました。しかし、農林水産省の補助金が切られると、それもなくなってしまいました。
福澤 廃線前の方が賑やかというのは、複雑な気持ちになります。
今尾 北海道では新しく町を造るにあたり、先行投資として鉄道を敷設したのです。それが実って、栄えた地域もあります。ただ、現在の北海道は札幌こそ賑やかですが、他の都市を訪れると駅前が寂しいですね。全国各地で、鉄道がなくなった地域は衰退が止まりません。本来は、もっと国が支援をして、鉄道を残すべきだと思います。
【3】JTB時刻表(平成29年)
時刻表には明治以来の伝統が受け継がれている!
対談の最後を飾るのは、鉄道ファンならずともおなじみの『JTB時刻表』。明治時代以来培われてきた鉄道地図の技術が、現代の時刻表にも受け継がれている。
福澤 最新号の表紙は、東武鉄道の「スペーシア」ですね。
今尾 昭和初期の鉄道地図では、ライバル会社の路線を地図に掲載しませんでしたよね。東武鉄道とJRが相互直通運転をするなんて、その時代では考えられなかったことです。それが今では、相乗効果を狙って協力しているのです。
福澤 全日本プロレスと新日本プロレスが共同で興行をすることも、かつては考えられませんでしたが、今では複数の団体で興行することは普通になりました。
今尾 鉄道は車に対抗しなければいけなくなった、ということですね。プロレスも、協力した方が互いにメリットがあると考えるようになったのでしょう。
福澤 僕は以前、JTB時刻表の編集部に行ったことがありますが、時刻表の紙って、特殊なものらしいですね。
今尾 第三種郵便の規定で、重さを1冊あたり1kg弱に収めなければいけないので、薄くしているのです。こんなに薄いのに印刷が裏写りしていないのは、驚きますよね。
福澤 この対談で明治時代から現代まで地図を見せていただきましたが、紙質に関していえば、時刻表には“究極の紙”が使われていると思います。ところで、かつての鉄道地図は駅の名前が虫眼鏡を使わないと見えないほど小さな字で書かれていましたが、近年は、時刻表も新聞も文字が大きくなりましたよね。
今尾 高齢化が進んでいるので、文字を大きくしているのかもしれません。また、デジタル化が進み、時刻をスマホで検索して、紙で見ない人も多くなりました。
福澤 そんな時代ですが、紙ならではの良さはどんなところにあると、今尾さんはお考えですか。
今尾 アーカイブとしての史料的価値は、紙が秀でている点のひとつです。1年前の鉄道事情が一目で分かるといった、記録性ですね。デジタルだとこういった歴史が残りにくいのです。
福澤 今回の対談を通して、鉄道が進化している一方で、鉄道地図も進化していることがわかりました。昔は今以上に、旅、移動、旅行が特別なものだったことも、地図から読み取ることができました。
今尾 鉄道地図を見ると、戦前の風景を思い浮かべることができます。また、細かいスペースにいかに多くの情報を盛り込もうかと、考えている人の顔を思い浮かべるのも楽しいですね。様々な楽しみ方があるのが、鉄道地図の醍醐味です。
福澤 僕は小学6年生の時に地図を見る「地図見」というクラブを立ち上げたほどの、地図好きでした。ところが、僕の中では、地図といえばあくまでも二次元の世界でした。今尾さんから、地図は立体的かつ三次元で捕らえることができ、さらには匂いという四次元でも楽しめることを知り、目から鱗でした。今回の対談で、地図の奥深い世界の入口に立たせてもらった気がします。これからは地図を三次元的に、四次元的に感じることができるように、訓練を始めたいと思っています。今回は本当にありがとうございました。
文/山内貴範 撮影/藤田修平