日本の鉄道史を物語る究極の資料
鉄道地図を読み解く愉しさ
令和4年(2022)は、日本に鉄道が開業して150周年の節目となる記念すべき年。
これまでに発行された鉄道地図は、鉄道の歴史はもちろん、時代背景や、いつの時代も変わらぬ人々の旅への憧れを雄弁に語ってくれる。
今回は、鉄道に造詣が深く、テレビ番組で数々の古文書や地図に触れる機会の多いフリーアナウンサーの福澤朗さん(58歳)と、幼少期からの鉄道ファンで『日本鉄道大地図館』(9月29日発売/小学館)の監修を務める今尾恵介さん(62歳)が、鉄道地図の奥深い魅力を語り合った。
今回、今尾さんが披露する鉄道地図には、現在では失われてしまった鉄路にとどまらず、時代背景を伝える様々な情報が記録されている。そんな貴重な地図を前に、テレビ番組で数々の“お宝”を目にしている福澤さんも、目を丸くして見入っていた。そんなふたりの対談は、昨今の鉄道事情の話題から始まった。
福澤朗さん(以下、福澤) 鉄道150周年という記念すべき年に、今尾さんと対談できて嬉しく思います。そんな節目の年に、今尾さんが注目している新しい列車や路線は、何かございますか?
今尾恵介(以下、今尾) そうですね。日本各地で災害や過疎化の影響で鉄路が失われるなど、さみしい話題も多いのですが、今年は武雄温泉駅(佐賀県)から長崎駅の間に西九州新幹線が開業します。また、来年に開業する初のLRT(軌道系交通システム)、宇都宮ライトレールも気になりますね。
福澤 僕は、10年後を目途に東京メトロ南北線が白金高輪から品川まで延伸されることが決まり、嬉しいですね。近隣に住んでいるので、延伸後は、品川駅から東海道新幹線に乗り降りすることになりそうです。品川駅はリニア中央新幹線の発着駅にもなりますし、ますます発展しそうですね。
今尾 品川駅は、平成15年に東海道新幹線が停車するようになってから、劇的に変わったんですよ。
福澤 余談ですが、外国人が一番好きな漢字は品川の“品”なのだそうです。というのも、四角が3つ並んでいる文字が珍しいのだとか。また、音の響きが“シンパシー(sympathy)”に繋がるからなのかもしれませんが、“新橋”が好きだと聞いています。両駅とも、鉄道の歴史を振り返るうえで重要な駅ですよね。
今尾 そうですね。新橋駅は長らく東海道本線の起点でしたし、品川駅は横浜駅と並ぶ日本最古の駅でもあります。品川駅から横浜駅間は、最近出土して話題になった高輪築堤の工事が遅れていたため、鉄道が本開業する2~3か月前に仮開業しました。
福澤 とある番組のロケで、品川駅から桜木町駅まで沿線を歩いたことがありますが、そのときに品川駅が最古の駅だと知りました。駅前に記念の石碑があるんですよね。
今尾 当時、浜松町駅から品川駅は波打ち際にあったそうです。東京湾に白帆の船が浮かび、房総半島も遠くに見えて、なかなかの絶景だったらしいですよ。
福澤 「鉄道唱歌」の1番に「愛宕の山に入り残る」というフレーズがありますが、新橋駅から品川駅にかけて、車窓に愛宕山が見えていたんですよね。約25~26mの小さな山で、今ではビルの陰に隠れてしまいましたが、当時は目立つ存在だったとわかります。あの頃の東京の町を見てみたかったですね!
【1】『東京全図』(明治32年)
地図の中から町の匂いや音を感じてみよう
「明治時代の東京の町を見てみたかった!」と話す福澤さんのリクエストに応えるように、今尾さんが広げたのが、明治32年に発行された『東京全図』。まだ埋め立てが進んでいない東京湾の沿岸、そして東京の市街地の詳細が記録されている。
今尾 民間会社が製作した地図ですが、最大の特徴は馬車鉄道が掲載されている点です。現在の第一京浜(国道15号)には品川馬車鉄道の路線があり、新橋を起点に銀座、日本橋、上野、浅草まで通じていました。日本橋から浅草橋は道幅が狭いため、上下線が別々の通りを走っています。
福澤 馬車鉄道、乗ってみたかったなあ。
今尾 品川馬車鉄道は銀座のど真ん中、現在の中央通りを走っていました。馬車ですから、馬糞の清掃が問題になりますが、捨てるための溝が設けられていたようです。こういった“匂い”は記録媒体には残りませんが、地図から想像することは可能なんですよ。
福澤 今尾さんは、地図から立体的なモノだけでなく、匂いも感じることができるんですか? それはすごいなあ。地図は二次元、立体的に見えたら三次元、匂いが入ったら四次元ですよ。タイガーマスクの四次元殺法のようで、画期的ですね(笑)!
今尾 空気感や音も感じることができますよ。銀座からは行商人の声が聞こえてくるようですし、品川だと漁師が歩く情景が浮かんできます。沖合にあるお台場や、海沿いを走っていた列車の車内も潮の匂いが漂っていたのでしょうね。
福澤 東京にいると、海が少し見えただけで気分が高揚しますよね。もしかしたら、その頃から記憶された本能なのかもしれませんね。僕はプライベートでよく東海道本線に乗りますが、行きは海沿いを眺めて、帰りは陸地側に座って大船観音を見ながら帰ります。
今尾 また、この地図は西側を上にして作成されています。これは江戸時代の『江戸図』という、江戸の全景を描いた地図に倣っているのです。上に江戸城を置き、下に市民や武家の居住地を描くというものでした。
【2】『大日本鉄道里程図』(明治33年)
味わい深い絵のタッチから時代の空気感を読み解く
続いて今尾さんが披露したのは、明治33年に刊行された『大日本鉄道里程図』である。横長に描かれた日本列島には、全国に広がった鉄道網が記されている。また、当時の人々の多くが旅の目的地にした寺社仏閣などの名所も見られる。この地図からは、現在とは異なる明治中期のゆったりとした空気感を読み解くことができると、今尾さんが言う。
今尾 “里程”とは、駅と駅の距離のことです。この地図は屏風折りです。江戸時代の頃から、東海道や中山道の『道中記』のように、宿場の宿賃や社寺仏閣の情報などが盛り込まれ、懐に入れて携帯できる屏風折りの地図が発刊されていました。この仕様が明治時代の鉄道地図にも踏襲されているのです。
福澤 日本列島は島国で細長いので、全体を屏風や巻物状にしやすいですよね。この地図を見て面白いのが、駅名を漢字で統一せずに、ひらがなやカタカナを混ぜ書きしている点です。例えば、僕の妻は小豆島(香川県)出身なんですが、カタカナで書かれていますね。
今尾 当時の印刷物は、気楽にカタカナを使うんですよ。画数の多い漢字は印刷で潰れてしまうとか、判読しにくいなどの事情に配慮したのでしょう。
福澤 徳島の近海には、渦潮が渦を巻いています。ユニークでかわいい絵ですね。
今尾 当時は四国にほとんど鉄道が開通していなかったため、八十八か所霊場の札所がすべて書かれています。また、富士山など、日本の主要な山の高さのような情報もありますね。日本は台湾を領有したため、右上に慌てて、台湾の新高山を追加していますが、富士山を抜いて当時の日本最高峰でした。
福澤 川の長さが示された図もありますね。
今尾 結構、図も縮尺もいい加減なのですが、全体的にゆるゆるな雰囲気で、時代の空気感が伝わってきますよね。
福澤 見ていて飽きませんね。
今尾 新潟の万代橋、日光の日光東照宮陽明門など、各地の名所が描かれたイラストも味があっていいですよね。絵は銅版画で描かれたもので、職人技が発揮されています。
福澤 路線図だけでなく、観光ガイドブックとしての側面もあるわけですね。そして、この地図に触れて、紙質がいいことに驚きました。僕が日本テレビに入社して間もないとき、番組宣伝のポスターの紙質を見れば、局の力の入れようがわかると、広報の方から聞きました。この地図はツルツルで手触りがよく、相当に力を入れていますね!
【3】改正鉄道地図(明治45年)
手仕事が発揮された地図から職人の息遣いを感じる
明治時代の最後を飾る逸品は、鉄道の路線図を作り続け、平成まで存続した老舗の出版社・和楽路屋が明治45年に刊行した『改正鉄道地図』。今尾さんによれば、非常に売れ行きのよかった地図という。そして、細部まで隈なく目を通した福澤さんは、予想外のある重大な発見をしてしまった。
福澤 赤く塗られた駅名が目立ちますね。駅弁の包み紙にしたいくらい、素晴らしい地図です。裏面には名所の絵図があり、両面合わせて楽しめますね。
今尾 「対マイル三等運賃一目表」という運賃の対照表もあります。この頃は鉄道の距離はマイル換算で、メートル表記になるのが昭和5年(1930)のことです。主要駅間を旅する人は、運賃を事前に調べることができますよね。
福澤 料金設定が改定されたら作り直すんですか?
今尾 毎年のように改版していると思いますよ。そして、この地図で面白いのは、表に汽車に乗る時の心得がまとめられていることです。
福澤 本当だ! 切符の交換や変更の方法から、切符を紛失したときの対処の仕方、乗り越しの方法まで様々なルールが書かれています。
今尾 日露戦争に勝利した後にロシアから割譲された、南樺太の路線図も見どころです。
福澤 貝塚、唐松、清川、大沢、豊原、栄町など、割と日本名の都市が多いですね。あれ、始発も終着駅も“栄町”になっていますよ。どういうことなのかな?
今尾 あれ、“栄浜”ではありませんか? ……これは間違いですね(笑)。
福澤 なんと! 明治時代の誤植を見つけてしまいましたね(笑)。でも、間違いがある地図って、なんだかいいですね。今の地図は正確さを重視していますから、間違いは絶対に許されないでしょう。でも、当時の地図からは、えも言われぬあたたかみが感じられます。何しろ人の手で作ったわけですから、間違いだってあるでしょう。
今尾 絵から字まで、すべて手書きですからね。先ほどの『大日本鉄道里程図』と同様に、職人が手間をかけて原版を作りました。近代化や機械化の中で、こうした特殊技能を持つ職人が減ってしまったことは残念に思います。他にも、当時の鉄道会社の社紋(企業の社章)が載っていたりして、和楽路屋の鉄道に対する愛が感じられる地図です。
文/山内貴範 撮影/藤田修平