文/池上信次

今回はジャズの「曲名」について。楽曲には必ず名前がつけられます。歌詞がある、いわゆる「歌もの」ならば、当然多くは歌詞にちなんだものでしょうし、インストでも、たとえば映画音楽なら映画の題名や内容とかかわるのが普通です。では、ジャズマンが作る「ジャズ演奏のための曲」はどうでしょう。ほとんどの場合は歌詞がなく、映画音楽のような背景はありません。ここは作曲者が頭を絞るところですよね。タイトルによって曲の印象は大きく変わりますし、認知度も変わってくるはずです。

たとえばハービー・ハンコック作曲の「処女航海(Maiden Voyage)」(同名アルバムに収録)。これは「モード」と呼ばれる作曲/アドリブ手法で演奏するために書かれた、自然発生的ではない機能的な構造をもつ曲ですが、「処女航海」とタイトルをつけたことによって、波のようにくり返されるリズムとサウンドが茫洋とした海原を想像させ、「歌もの」のような親しみやすさが曲に付加されました。のちに歌詞がつけられるほど、曲のイメージとタイトルがマッチした好例のひとつです。

アルバム収録曲はすべてハンコックのオリジナルで、「処女航海」のほかの曲にも、「ジ・アイ・オブ・ハリケーン」「サヴァイヴァル・オブ・ザ・フィッテスト」「ドルフィン・ダンス」と、海に関係したタイトルがつけられています。さらにジャケットもヨットで、海がアルバムのテーマになっています。でもこれは最初から意図されたものではないと思われます。なぜなら「処女航海」は、化粧品のCM音楽として書かれた曲だったからです。

ハービー・ハンコック『処女航海』(ブルーノート)
演奏:ハービー・ハンコック(ピアノ)、フレディ・ハバード(トランペット)、ジョージ・コールマン(テナー・サックス)、ロン・カーター(ベース)、アンソニー・ウィリアムス(ドラムス)
録音:1965年3月17日
この「処女航海」に、たとえば「ジ・アイ・オブ・ハリケーン」というタイトルがついていたらかなりミスマッチなわけで、意味のあるほんのひとことのタイトルで、楽曲のイメージは大きく変わるのです。

このように、タイトル次第で楽曲のイメージは大きく変わるものですが、あえてタイトルに意味を持たせないミュージシャンもいました。(モダン・ジャズ時代では)その代表がチャーリー・パーカーです。パーカーは1955年に死去するまで、実質約10年ほどの活動期間でしたが、80曲以上のオリジナル曲を残しています。ロス・ラッセル著のパーカーの評伝『バードは生きている』(原題:Bird Lives!)によれば、パーカーはたいていの場合、曲にタイトルはつけずレコーディング中は番号で呼び、レコード発売の際に(ダイヤル・レコードのプロデューサーである)ロス・ラッセルがタイトルをつけていたとあります。また、パーカーのサヴォイ・レコードでのプロデューサーのひとり、テディ・レイグも同様のことをインタヴューで語っています。つまり、パーカー作曲の楽曲タイトルには作曲者=演奏者の意向はほぼないといえるのですが、しかしそこはパーカーのことだけあって、のちに研究者たちはその意味も追究しました。

2020年に発刊された、ヘンリー・マーティン著『Charlie Parker, Composer』(Oxford Iniversity Press/日本未訳)は、作曲家としてのパーカーにスポットを当てた研究書ですが、そこでは楽理のほかに、タイトルについても仔細な考察があります。そこから、そこで引用されている既知の情報なども含めて、パーカーのオリジナル曲のタイトルの由来をいくつか紹介します。

「チェリル(Cheryl)」:バンド・メンバーのマイルス・デイヴィスの娘の名前。

「ドナ・リー(Donna Lee)」:バンドのベーシスト、カーリー・ラッセルの娘の名前(なお、実際はマイルス・デイヴィスの作曲とされる)。

「マーマデューク(Marmaduke)」:パーカーの3番目の妻ドリスの飼い猫の名前。

「ブジー(Buzzy)」:サヴォイ・レコードのプロデューサー、ハーマン・ルビンスキーの息子の名前。

「ビリーズ・バウンス(Billie’s Bounce)」:ブッキング・エージェントのビリー・ショウ(Billy Shaw)にちなんだものだが、スペルを間違えた説(『バードは生きている』)と、ビリー(Billie)と呼ばれていたショウの秘書という説があります。

「ムース・ザ・ムーチェ(Moose The Mooche)」:パーカーと関係のあったドラッグ・ディーラー、エムリー・バードのニックネーム。

このように、プロデューサーたちは(考えるのが面倒だったからか)片っ端からパーカーにゆかりのある人名をタイトルにしていったのでした(ほかにも人名を入れたタイトルが多数あります)。パーカーは、由来不明の人名の「意味のなさ」ゆえに、それらを認めていたのでしょう。

もちろん自分の曲ですから、パーカーがつけたタイトルもあります。『バードは生きている』によれば、そのひとつが「クラクトオヴィーセッズテーン(Klact-Oveeseds-Tene)」。とても一度では覚えられませんね。パーカーがジャズ・クラブの伝票の裏に書き付けたその単語の意味を尋ねたロス・ラッセルに、パーカーはなにも答えませんでした。おそらく意味はないのでしょう。ラッセルに、これくらい(もっと)意味のないタイトルにしろと示唆したのかもしれません。

『チャーリー・パーカー・ストーリー・オン・ダイアル VOL.2』(ダイアル)
演奏:チャーリー・パーカー(アルト・サックス)、マイルス・デイヴィス(トランペット)、デューク・ジョーダン(ピアノ)、トミー・ポッター(ベース)、マックス・ローチ(ドラムス)、ほか
録音:1947年10月-12月
ダイアル・レーベルでのコンピレーション。プロデューサーは評伝も書いたロス・ラッセル。「クラクトオヴィーセッズテーン」収録。「プレゾロジー(Prezology)」「クレイジオロジー(Crazeology)」も、パーカー作の意味なしタイトルっぽいですね。

パーカーはレコーディング・スタジオへの移動中のタクシーの中でも、セッション中でもさらさらと曲を書いていたと伝えられています。多くは定型であるブルース、定型のコード・パターン(通称リズム・チェンジ)や有名スタンダード曲のコード進行を借りたものでしたので、作曲というよりも、アドリブのきっかけになるリフ(リフレイン:繰り返しフレーズ)程度と考えていたのでしょう。録音したその場で、レコード会社に著作権を売り渡すこともあったと伝えられています。パーカーが創造した演奏スタイル「ビ・バップ」は即興演奏を最大のテーマとしています。ですからそこには感情や音楽以外のイメージの投影はむしろ不要であり、そのためにはタイトルに意味はないほうがいいということなのですね。意味がないことに意味があるのです。

とはいうものの、パーカーが「意味のある」タイトルを提案したこともありました。『Charlie Parker, Composer』によれば、それはロス・ラッセルがつけたタイトル「リラクシン・アット・カマリロ(Relaxin’ At Camarillo)」にまつわる出来事。カマリロは、パーカーが6か月間入院していた、カリフォルニアにあるメンタルヘルス病院の名前です。そこから退院してすぐ録音した曲なので、なかなかユーモアのあるタイトルだと思ってしまいますが、じつはこれはパクりタイトル。もとになっているのは、シカゴのトランペッターのマグシー・スパニアが1940年に発表した「リラクシン・アット・ザ・トゥーロ(Relaxin’ At The Touro)」。トゥーロはスパニアが入院していた病院の名前です。

このことを知ってか知らずか、パーカーはラッセルに意義を唱え、別のタイトルを主張していたというのです。そのタイトルとは「パスト・デュー(Past Due)」。「支払期限が過ぎている」という意味なので、パクりを問題にしたのではなく、パーカーとラッセルの金銭問題をネタにしたのでしょう。ラッセルはそれを却下し、結果的に「リラクシン〜」となりましたが、パーカーのユーモアあるいは皮肉のセンスは、アドリブ同様、切れ味抜群だったことを物語るエピソードですね。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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