『青天を衝け』では「黎明期の新聞」が効果的に登場する。外国勢力に対抗するために、栄一は「報道」の力を借りた!
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ライターI(以下I):徳川慶喜(演・草彅剛)が狩猟を楽しんで帰って来た姿で登場しました。第28話の栄一(演・吉沢亮)との別れ方がしんみりしていたので、もう登場しないと思っていたのですが、明治20年代に撮影された慶喜の写真と同じようないでたちでしたね。
編集者A(以下A): 『サライ』の1993年9月16日号ではその写真が表紙を飾っています。特集タイトルが『元祖趣味人・徳川慶喜 毎日が日曜日』。現代風なタイトルですが、当時の慶喜の日常をうまく表現していると思います。
I:静岡での慶喜は写真撮影や絵画、狩猟など多くの趣味に没頭し、それぞれ玄人はだしだったと伝えられています。栄一と慶喜が話し込んだ部屋の背景にキャンバスに描かれた絵画が置かれていました。あれは「西洋風景」と表題が付された慶喜の作品で、現在久能山東照宮に蔵されているものです。毎度美術スタッフの細やかな仕事ぶりには感嘆させられます。
A:久能山東照宮の公式アカウントがすぐさまツイートしていましたね。「素早い!」と思いました。放送を受けて、この絵画の展示期間を延期したそうです。
I:私は、静岡の慶喜が狩猟や写真撮影や絵画、自転車などに没頭していたのは、趣味人として生きたかったからだと思っていましたが、『青天を衝け』を見てからは、必ずしもそうではないのかもしれないと思い始めました。前田利常がバカ殿のふりをして謀反を疑う幕府の目を逸らしたり、討ち入りを悟られまいと山科遊びに呆けた大石内蔵助などと同様に新政府の監視の目を逸らそうという意図があったとすれば、「徳川慶喜の明治」も見直す必要があるのではないかと感じました。
A:なるほど。ただ、徳川慶喜の明治は、自由人のようですが、その「財布」は、「千駄ヶ谷」に住居を構えたと劇中で紹介された徳川宗家に管理されていて、経済的には不自由を強いられていたことも忘れてはいけません。栄一はそのことをずっと気にしていたはずです。
窮民救済に生涯を捧げた渋沢栄一
I: 明治になっても、栄一がいつまでも旧主慶喜を心の拠り所であった様子に感動しました。そういう「拠り所」のような存在がいるというのはうらやましい気がします。
A:はい。栄一の人柄がよく現れたシーンだったと思います。ほかにも今回、栄一の口から「養育院」のことが語られました。養育院は困窮する民衆を救済するための施設として明治5年に設立されました。初代院長に就任した栄一は、亡くなるまで半世紀にわたって院長であり続けました。現在、東京板橋に栄一の生前に造られた立派な銅像があります。大正14年の除幕式には栄一も参加したことが、写真入りで『広報 いたばし』で紹介されていました。
I:「養育院」は、1999年までその名称が存続されていたそうですね。現在は「東京都健康長寿医療センター」という立派な病院がありますが、関係者は「養育院」という名前を残しておくべきだったと思っているかもしれませんね。養育院をめぐるエピソードは、栄一と慶喜の関係と同じく、栄一の人間味あふれる生き様を象徴していますよね。
A:栄一がなんのために、誰のために粉骨砕身はたらいたか――。私は、徳川慶喜のため、貧しい人々を救うためだったのではないかと思えてなりません。栄一と慶喜の交流が、終盤にどう描かれるのか。見どころだと思っています。
I:ふたりのエピソードがいつ挿入されてくるかわかりませんが、最終回まで目が離せませんね。ハンカチ必須の回が登場するかもしれません。
効果的に「新聞」を使う演出
A:今回は、蚕卵紙(さんらんし)の問題に絡んで、郵便報知新聞の主筆となっていた旧幕臣の栗本鋤雲(演・池内万作)が登場しました。外国勢の買い控えで輸出品目「蚕卵紙」の価格が暴落するのを阻止するために、栄一の呼びかけに応じて「援軍記事」を書くという設定で、東京日日新聞もその流れに加わるという展開になりました。『青天を衝け』では、渡仏中に幕府が崩壊したことなどを現地の新聞報道で知り、前回は、大蔵省を辞職した栄一の建言書が新聞で報じられたことも登場しました。第33話では、国益のために新聞とともに外国に対抗する場面が描かれ、終盤には、西南戦争で散った西郷隆盛(演・博多華丸)の死を新聞記事で知るシーンまで登場しました。
I:明治の「新聞の夜明け」を挿入することで、単にナレーションで流すところを臨場感ある場面にすることができました。栗本鋤雲の〈新聞には世論を動かす力があり、世論には政府を動かす力があることを知った。今度は外国を見返すのだ〉という台詞が当時の新興メディア新聞を取り巻く空気をあらわしていました。
A:世の中の動きに関心のある明治初期の人びとにとって、新聞は画期的なツールだったはずですし、書き手として勘定奉行、箱館奉行を歴任した栗本鋤雲や同じく旧幕臣の福地源一郎らが志をもって、ジャーナリズムの道を切り拓いていたことなど、新聞黎明期の活気をうまく伝えていたように思います。その是非はともかく、みんなが熱くなっている姿は感動的でした。
I:新聞報道に携わる人たちも、読者の側も 「世の中の大切な情報を正確に伝えてくれる」新聞の役割を、原点に戻って再認識してくれたらいいですね。
『論語と算盤』、制作陣が強調したかったのは何か?
I:第33話のサブタイトルの「論語と算盤」は、渋沢栄一が大正5年に刊行した主要な著書のタイトルでもあります。簡単にいえば、経済(金儲け)と道徳の両立を掲げたものです。最近、話題になっている「分配」と同じようなことにも言及していますから、期せずしてタイムリーな登場となりました。
A:栄一が『論語』を音読するシーンでは、「富と貴きとは、是れ人の欲するところなり~」で始まる「里仁」の一節が登場しました。ここは『論語と算盤』でも触れられていますが、その章の肝は「真の経済活動は、道徳を基盤にしなければ永続しない」ということですし、貧しい人々を救うことにも言及している章です。
I:わざわざそのくだりを音読させたのは、制作陣が、『論語と算盤』のこの章こそ、渋沢栄一の人生を象徴していると判断してのことなんですかね。慶喜との交流、養育院への言及と、何か、終盤に向けての伏線が張られたような気もします。
A:明治のスローガン「富国強兵」の「富国」は、栄一にとって、慶喜のためであり、貧しい人々を救うための「富国」だったような気がしてきました。「旧主慶喜のため、貧しい人々のために金を稼がなきゃならん!」という感じでしょうか。まさに「道徳と経済」の融合ですよ。
やはり裏テーマは「明治維新レジームの見直し」なのか?
I:さて、三野村利左衛門(演・イッセー尾形)との会話の中で小栗上野介(演・武田真治)への言及がありました。〈カンパニーも紙幣もBANKも小栗さまは10年も前に作ろうとなさっておった。今さら作ったのかとお笑いになっていたかもしれませんな〉――。
A:大隈重信が「明治の近代化は、小栗の模倣に過ぎぬ」といったのは、もう少し後のことになりますが、ここでやや唐突に小栗上野介を台詞の中にはさんでくるとは、前週でも述べた、本作の裏テーマは「明治維新レジームの見直し」という指摘(https://serai.jp/hobby/1046638)がますます的を射たといえるのではないでしょうか。
A:小栗上野介は、まさに「消された 徳川近代」の象徴的な存在ですものね。さて、今回は大久保利通(演・石丸幹二)暗殺まで登場しました。明治11年のことですね。西郷隆盛、大久保利通がこの世を去り、劇中では登場しない木戸孝允も明治10年に亡くなっていますから、いわゆる「維新三傑」が全員この世を去ったということになります。
I:次回から、渋沢ら次の世代のさらなる躍動が始まるということですね。
●大河ドラマ『青天を衝け』は、毎週日曜日8時~、NHK総合ほかで放送中。詳細、見逃し配信の情報はこちら→ https://www.nhk.jp/p/seiten/
●編集者A:月刊『サライ』元編集者。歴史作家・安部龍太郎氏の『半島をゆく』を足掛け8年担当。かつて数年担当した『逆説の日本史』の取材で全国各地の幕末史跡を取材。
●ライターI:ライター。月刊『サライ』等で執筆。幕末取材では、古高俊太郎を拷問したという旧前川邸の取材や、旧幕軍の最期の足跡を辿り、函館の五稜郭や江差の咸臨丸の取材も行なっている。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり