フランスのナポレオン三世からの招請でパリ万国博覧会に出展することにした江戸公儀。
徳川慶喜は洋装軍服をまとって篤太夫と大権現様ご遺訓を唱和するが……。
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ライターI(以下I):第21話もトピックスが盛りだくさんでした。
編集者A(以下A):〈人の一生は重荷を負うて 遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり〉。徳川慶喜(演・草彅剛)と篤太夫(演・吉沢亮)が唱和したシーンはいろいろな意味で名場面だったと思います。
I:私はジーンときましたね。まさか〈大権現様御遺訓〉の唱和がこれほど感動的なシーンになるとは思いませんでした。
A:確かに感動的なシーンでした。でも一方で私は、なんと厄介なシーンなのだろうと思いました。〈人の一生は~〉は徳川家康の遺訓ということで伝えられてきました。ところが、昭和58年(1983)に放送された『徳川家康』で初めて家康が大河ドラマの主人公になった時に、ご遺訓は「後世の創作」ということが広く伝えられました。
I:え? そうなんですか?
A:書棚の奥の奥から昭和57年に刊行された『徳川家康おもしろ ものしり雑学事典』(講談社刊)を引っ張り出してきました。中学生の時に買った本ですね。この本の中には、遺訓を引用した後に〈よくできている教えだが、実はこの遺訓は家康が書いたものではなく、後世に作られたものだろうといわれ、今日ではその説がまかり通っている〉とあります。その後、尾張徳川家先代ご当主の徳川義宣さんの研究で由来も明らかになりました。同氏は吉川弘文館の『国史大辞典』の「東照宮御遺訓」の項目を執筆していますが、こうあります。〈「人の一生は(中略)過ぎたるよりまされり」の一文が徳川家康遺訓として世に知られているが、これは徳川光圀作として伝えられていた『人のいましめ』の教訓文を、幕末期に一部改め、『東照宮御遺訓』と改題して民間に流布せしめ、今日に至ったものである〉。
I:なるほど。幕末期に流布したということは、劇中で慶喜と篤太夫が唱和するということ自体は、不自然ではないわけですね。しかも慶喜の実家でもある水戸家が由来とは!
A:そうです。それが昭和まで家康の遺訓と伝えられ、大河ドラマ『徳川家康』を期に、「これは後世の創作」ということが広く流布した。ちなみに最近10年前後の間に刊行された『定本 徳川家康』(吉川弘文館)、『徳川家康 境界の領主から天下人へ』(平凡社)では遺訓について言及すらされていません。
I:それが、劇中で象徴的に使われることで、またぞろ「あれは家康の遺訓」という認識になるのが厄介だということを言いたいわけですね。
A:そういうことです。でも書棚の奥の奥から引っ張り出した『雑学事典』では、〈自作他作はさておき、この教えは家康の人生観、処世術をよく表現したものであり、時代が変わっても対人関係は不変であり、熟読吟味する価値はある〉とまとめられています。
I:言葉じたいは家康の生涯を俯瞰したような名文句ですからね。
ナポレオン三世から贈られた軍服をまとう慶喜
I:徳川慶喜がナポレオン三世から贈られたというフランス軍服を身に着けて登場しました。私は昨年の『麒麟がくる』で信長から贈られた洋装マントを身にまとった光秀を思い出しました(笑)が、草彅慶喜のマゲ姿の洋装もはまっていましたね。
A:このときナポレオン三世から贈られたフランス軍服に身をまとった慶喜の写真が何点か残されていますね。
I:慶喜が大正2年に亡くなった際に、徳川ゆかりの各家に慶喜のアルバム(写真帖)が配られたそうです。そこには32枚の慶喜の肖像写真が掲載されていたようですが、その中に5枚ほどナポレオン三世から贈られた軍服を着たものが含まれていますね。
A:馬上で軍服姿の慶喜が特に印象的です。ナポレオン三世から贈られたものでは、軍帽が久能山東照宮博物館に、葵紋入りの甲冑が靖国神社遊就館に伝来しているようです。
小栗上野介は幕府崩壊を予測していた?
I:この回も小栗上野介(演・武田真治)が登場しました。篤太夫相手に幕府の崩壊を予測するような台詞を発していましたね。
A:作家の原田伊織さんの著書『消された「徳川近代」明治日本の欺瞞』の受け売りですが、同書の怒涛の章「徳川近代の柱 小栗上野介」には、造船所建設に莫大な経費がかかることを心配する周囲の声があったことを受けてこう記しています。〈(小栗は)「いずれ売り出すとしても土蔵付き売家の栄誉が残る」 と言い放ったのである。「売り出す」とは政権を手放すという意味である。徳川が政権を失っても、この造船所(製鉄所)を一緒に残してやれば、せめてもの徳川の栄誉であるということなのだ〉(同書217頁)。
I:劇中での小栗は篤太夫に対して同じようなことを言っていましたね。私は「徳川近代」を読んでいましたので、ジーンとくる場面になりました。
A:今週はほかにも孝明天皇(演・尾上右近)の崩御が描かれました。暗殺説を示唆する場面になったらスリリングと思っていましたが、やはりハードルが高かったのですかね。
I:私は番組最後の紀行で昭武(演・板垣李光人)を紹介する場面で本圀寺が出てきたことが印象深かったです。本圀寺といえば、昨年の『麒麟がくる』でも足利義昭襲撃事件の舞台として登場しました。ああ、歴史ってつながっているんだなと。
A:つながっているといえば、福井県の敦賀市もそうですよね。金ヶ崎の退き口が『麒麟がくる』で登場し、『青天を衝け』では同じ市内にある天狗党の武田耕雲斎等の処刑シーンが登場しました。同地には墓地や耕雲斎らを祀る松原神社などがありますから。
I:早くコロナが収束してゆかりの地を巡ってみたいですね。
●大河ドラマ『青天を衝け』は、毎週日曜日8時~、NHK総合ほかで放送中。詳細、見逃し配信の情報はこちら→ https://www.nhk.jp/p/seiten/
●編集者A:月刊『サライ』編集者。歴史作家・安部龍太郎氏の『半島をゆく』を担当。かつて数年担当した『逆説の日本史』の取材で全国各地の幕末史跡を取材。函館「碧血碑」が特別な思いを抱く。
●ライターI:ライター。月刊『サライ』等で執筆。幕末取材では、古高俊太郎を拷問したという旧前川邸の取材や、旧幕軍の最期の足跡を辿り、函館の五稜郭や江差の咸臨丸の取材も行なっている。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり