近代国家の礎となった小栗の功績
その他、日本初の株式会社である兵庫商社を設立し、同じく株式会社方式で築地ホテルを開業したことなども、小栗の功績です。
――その小栗も、最後は悲劇的な最期を迎えます。
原田 小栗と、志を一つとする幕臣たちは、「小栗グループ」とでもいうべき一団を形成し、やがて幕臣の中心に位置するようになります。しかし、一橋慶喜が将軍となることによって、彼らの立場は悪くなる。幕末の段階では、主戦派の代表格であった小栗は遠ざけられ、慶喜は勝海舟や大久保一翁に全権を委ねて明治政府に恭順してしまいます。
勝からすれば、どうしたって太刀打ちできない「高い壁」であった小栗が消えてくれて安堵したことでしょう。慶喜はなぜ勝を抜擢したのか。それは、勝が山内容堂と面識があるとか、薩摩の西郷のことを知っているとか、そういう人脈が役に立つと考えた。それだけだったと思います。勝の能力云々でなく、新政府側の要路と知人だったから。慶喜の意識としては、徳川幕府、公儀を代表する人間と考えたのではなく、徳川家の家政を預けたという感覚が強いのではないかと、私は考えています。
その結果、小栗は江戸を離れて知行地である上州権田村(群馬県高崎市倉渕町)に引き上げます。そこで、東山道総督府の手によって、官軍に抵抗する構えを見せたからという理由にもならない理由で斬首されることになります。
明らかに新政府は最初から小栗を抹殺するつもりだったのでしょう。彼らからすれば、小栗は旧幕府の主戦派であり、すぐれた識見や戦術をもつ、もっとも危険な男だったのです。
のちに佐賀藩出身の大隈重信は、「明治政府の近代化政策は、小栗忠順の模倣にすぎない」と語り、明治維新を「日本の夜明け」として描く司馬遼太郎でさえ、小栗を「明治の父」と呼んでいます。明治政府は小栗とその偉業を「なかったこと」にしようとしましたが、それは隠しきれるものではなかったのです。
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坂本龍馬に触れなくても幕末維新は描けるが、小栗に言及しなければとうてい描けないと語る原田さん。「徳川近代」をリードし、近代国家の礎となった小栗の功績は、今後、さらに掘り下げられ、広く知られるようになるべきだと痛感する。
消された「徳川近代」明治日本の欺瞞
原田伊織/著 小学館刊
単行本 319ページ
https://www.shogakukan.co.jp/books/09388652