「徳川近代」――。何やら聞きなれないフレーズを打ち出した本(『消された徳川近代 明治日本の欺瞞』)が密かに話題を集めている。著者は『明治維新の過ち』を嚆矢とする維新三部作のベストセラーで知られる原田伊織氏。近代は明治からというこれまでの常識に挑んだ書だ。
その意図するところは何なのか。元『歴史読本』編集者で現在、歴史書籍編集プロダクション三猿舎を経営する安田清人氏が、著者・原田伊織氏を直撃した。
「徳川近代」とは何か
――まず何と言っても、『消された徳川近代』という書名が目を引きます。私たちの常識からすると、徳川の時代、つまり江戸時代が終わることによって、ようやく近代としての明治時代が始まったという印象なのですが。
原田 ご指摘の通りです。徳川と近代、まったく結びつかない、むしろ相反する印象の言葉を繋げることで、まず読者に違和感をもっていただきたかったんです。
明治イコール日本の夜明けというイメージを多くの方がお持ちでしょう。「日本の夜明け史観」とでもいいましょうか。すべては明治から始まった。それ以前は因循固陋な暗闇だったという考え方で、私たちはずっとそういうイメージを植え付けられてきた。
――それは間違いであると?
原田 そうです。徳川の時代は300年近く続いたわけですが、その最後のころには、確実に「日本の夜明け」というべき時期があった。それは近代と呼んでも差し支えない期間であったというのが私の歴史の見方であり、訴えたかったことなのです。
――「徳川近代」の範囲は?
原田 それほど長い期間ではありません。長く見積もっても天保年間(1831~1845)から幕末までの約30年。思い切り限定しても黒船来航からの約15年は、間違いなく「徳川近代」と言えると思います。
――20年以上前になりますが、文化人類学者の山口昌男さんが『敗者の精神史』という本を出されたのがきっかけで、明治維新の「敗者」、旧幕臣などに注目が集まったことがありました。
原田 旧幕臣にも優秀な人物、開明的な人物がいて、明治維新以後、近代化のもう一つの潮流を作ったという描き方でした。しかし、その段階ではまだ一部の優秀な個性を取り上げて光をあてるだけだったと思います。私は、そうした個々人、総体が組織として近代の萌芽を形づくっていたことを強く打ち出したかったんです。
この本でも、阿部正弘政権、堀田正睦政権といった「政権」がいかに先駆的な役割を果たしたかに注目していますが、すでに一部の個人だけでなく社会の仕組み自体が近代と言える状況になっていたと考えるべきだと思います。
――従来、阿部正弘・堀田正睦政権は、黒船来航の衝撃を前に右往左往し、効果的な手が打てなかったという印象で語られていました。
原田 そもそも、右往左往したという事実自体が存在しません(笑)。彼らは時代の潮流を正しく読み、最善の手を打ったと、私は思っています。あの二代にわたる政権は、もっと高く評価してもいいと思います。
彼ら幕府高官を再評価すべきだということは、これまでにも実は申し上げてきたことなんです。そしてそのこと自体は、ある程度、歴史認識として定着してきたようにも思います。しかし、ではあの幕末という時代はどういう時代だったのかといわれたとき、明確に答えることはできていませんでした。今回の本は、その問いに対する答えとして、「徳川近代」という概念を打ち出そうとしたものなのです。
――「近代」は、すでに徳川の時代に始まっていた、と。
原田 そういうことです。明治政府によって文明開化、富国強兵、殖産興業が進められたのは事実です。しかし、そのスタート地点は正しくない。すでに幕末と言われる時代に、すべては始まっていたのです。
時代の区分というのは、年表のように、どこかに明確に線を引くことはできないと、私は思います。1868年の明治維新を境に、それ以前は暗黒の時代、それ以後は「日本の夜明け」という歴史像は、明らかに明治政府を構成する、薩長を中心とする為政者がつくり上げたものだと思います。私はこの本のあとがきで、その歴史像を「明治維新物語」と呼んでいます。物語は事実ではありません。もうそろそろ、こうした歴史像、歴史観を卒業しませんかというのが、私がこの本を書いた理由なのです。
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歴史は勝者が描くもの。明治維新の栄光も、明治政府が自己正当化のために作った虚像を含んでいる。原田さんが掲げる「徳川近代」という絶妙のフレーズは、その欺瞞に気づかせてくれるマジック・ワードと言えるだろう。
消された「徳川近代」明治日本の欺瞞
原田伊織/著 小学館刊
単行本 319ページ
https://www.shogakukan.co.jp/books/09388652