それでは、正解を発表します!
【クイズ1】
京の鬼門、比叡山延暦寺にならい、江戸の鬼門には「東叡山」の山号を持つ寺院が創建されました。では、その寺とは次のうちどれでしょう?
(い)浅草寺
(ろ)寛永寺
(は)護国寺
(に)増上寺
正解(ろ)
寛永寺は、現在の東京都台東区上野にある天台宗の寺院。家康・秀忠・家光の三代に仕えた天海が、江戸の守りとするため、江戸城の鬼門にあたる場所に幕府の祈願寺を建立することを願い出て、家光の時代に建てられた。後に芝の増上寺とともに、将軍家の菩提寺とされた。
【クイズ2】
この神社は、江戸の総鎮守とされた神社で、その祭礼は山王祭とともに「天下祭り」と称されました。さて、この神社とは次のうちどれでしょう?
(い)神田明神
(ろ)住吉神社
(は)根津権現
(に)氷川神社
正解(い)
「天下祭り」は、山王権現(今の日枝神社)の山王祭と、神田明神の神田祭のこと。江戸城内で将軍が上覧したためこう呼ばれた。山王権現は将軍家の産土神。神田明神は、2代将軍秀忠によって、江戸の総鎮守とされている。
【クイズ3】
徳川将軍家は源氏の子孫と称していました。そのため、源氏の氏神にもあつい信仰があったといわれています。では、次のうち源氏の氏神を祀った神社はどれでしょう?
(い)亀戸天神
(ろ)神田明神
(は)富岡八幡宮
(に)日光東照宮
正解(は)
9世紀半ば平安京近郊に勧請された石清水八幡宮は、玉城鎮護の神として崇敬され、11世紀末には伊勢神宮と並ぶ二所宗廟と呼ばれ、皇室の宗祀とされた。やがて天皇家の血を引く源氏、とくに清和源氏が八幡神を氏神と仰ぐようになった。
徳川将軍家は八幡神を尊崇したが、これは徳川氏が清和源氏の後裔とされたためだった。寛永4年(1627)創建の富岡八幡宮は、代々の将軍の庇護を受け、約6万坪(約20万平方メートル)余の社地を有した江戸第一の八幡だった。
【クイズ4】
明暦3年(1657)の大火では、逃げようとした人たちが浅草御門に殺到し、多くの人が亡くなったといわれています。火災後に架けられたのが両国橋ですが、大火の犠牲者供養のため、橋のすぐ近くに建立された寺院はどれでしょう?
(い)本願寺
(ろ)回向院
(は)弘福寺
(に)薬研堀不動院
正解(ろ)
明暦の大火では、江戸の6割が焼失し、死者の数は5万とも10万とも伝えられている。神田や日本橋から浅草方面へ逃げようとした人々が、浅草御門に殺到したが、門が閉じられたために、2万3000人が焼死したという。これを機に建設されたのが両国橋で、同時に犠牲者を供養するための寺院として、万治3年(1660)に回向院が建立された。
いかがでしたか? 3問目は2級の問題で、正解率が59%と少し難しかったかもしれません。解けた方は自信をもっていいかも!? ぜひ、江戸検定で腕試ししてみてはいかがでしょう。
※問題の出典: 『江戸吟味問答控 第1回江戸文化歴史検定 出題問題公式解説集』『第4回 江戸検問題公式解説集』『第3回江戸文化歴史検定(2008年度)江戸検出題問題公式解説集』
取材・文/オノハルコ(晴レノ日スタヂオ)