取材・文/ふじのあやこ
離婚、再婚などで複雑化する家族関係。血縁のない家族(義家族)との関係で生じる問題、そして新たに生まれたものを、当人にインタビューして、当時感じた素直な気持ちを掘り下げます。(~その1~はコチラ)
今回お話を伺った正美さん(仮名・42歳)は、27歳のときに結婚して、現在は兵庫県内で二人暮らしをしています。正美さんは両親と5歳上に姉のいる4人家族。父親が大学生の頃に亡くなり、そこから姉が結婚して地方に。そして母親も姉について行ってしまいます。家族はいるものの強制的な一人暮らしとなった正美さんの寂しさを埋めてくれたのが、現在の旦那さまでした。しかし、結婚が決まってから自分勝手な旦那さまの行動が目につくようになっていったとか。
「ご挨拶の場で、今後私たちが住む一軒家が建てられていることを知ったり、私の親には挨拶に行ってくれなかったり。仕事が忙しいのは知っていたので、親への挨拶は飲み込めたとしても、新居は……。せめてご挨拶の前に教えてもらいたかったです」
“子どものため”がすれ違い、夫婦生活はギスギスしていった
2時間以上かかる通勤時間を受け入れてでも仕事を続けることを選択した正美さん。しかし、今度は子どもができない原因に仕事をあげられ、辞める方向へ追いつめられます。
「仕事は輸入品を扱う企業に勤めていて、小さな会社だったので内勤業務があったり営業もしたりと多くを担当していました。お給料は決して多くなかったけど、人間関係が良くて辞めたくなかったんです。結婚後に子どもができても産休制度があるので、続けるつもりでした。
でも、なかなか子どもが授からなくて……。まだ20代だったので自然に任せるつもりだったんですが夫から専念するべきと言われてしまい、さらには私がその話に同意しないとなると、義母を説得要員に充ててきたんです。義母からお願いされてしまって、私は妊活に専念することにしました。すぐに折れたわけではなく、その後も1年ほど仕事を続けても子どもができなかったので。1年も説得され続けたんですよ」
検査をして調べても不妊の理由は見つからず。義務として夫婦生活を続けていく中で夫婦関係はギスギスしていったと言います。
「妊娠可能期間に夫婦生活を持つわけですが、私は仕事を辞めて妊活を積極的に行っているのに、夫はその期間を伝えていても帰りが遅い日もある。私の中でここまで犠牲にしたという思いがあるから、もっと協力すべきと求めてしまうばかりでした。その言葉に夫もうんざりしていき、夫婦生活がその期間だけになり、それ以外は別々に寝るようになりました。そこから家庭内別居が始まっていたと思います」
【「離婚する理由がない」のは夫側の意見。いつまでも意見は受け入れてもらえない。次ページに続きます】