気がつけば、世の中「人生百年時代」と言われるようになっております。そうは申しましても、「百歳まで健康にして、聡明に生きる」ことは、そんなに簡単なことではないように思われます。
誰もが、いつまでも“アクティブシニア”でありたいと願い、日々健康維持に努めようと様々な目標や誓いを立てたりするのでが、不甲斐なくも挫折することがしばしば。
長年の不摂生な習慣が、そうそう簡単に改まるものではありませんよね。若い頃なら、周りの人が叱咜激励をしてくれたのですが、そういう友人や師匠も少なくなる年齢でもあります。
主治医から「そんなことでは命に関わる」と脅されて慌て生活習慣を改めるようでは“後悔先に立たず”となりかねません。そうした事にならないようにするためにも、「渋沢栄一 心ことば」の第一回目に取り上げる言葉は、サライ読者にとっては健康に生きるための厳しい師匠の言葉となるのではないでしょうか?
神から与えられた天命、終焉を迎えるのは何時なのかは誰にもわからない。然るに「そんなに長くは生きたくない」「ぽっくり逝きたい」とか「楽に死にたい」だのと、実に罰当たりなことを考えたりします。
年金受給者になったりすると、どうかすると隠居したような気分になって、気持ちから老け込んでしまいます。隠居気分が芽生えた時には、今回の渋沢栄一の“心のことば”を噛みしめていただくと、アクティブシニアとして気持ちを奮い立たせることができるのではないでしょうか?
■渋沢栄一の心を読み解く
この言葉の意図するところは……
「人間、この世に生を受けたからには、使命感を持って成すべき事を成し遂げなさい」。
年齢を理由にして、自分で限界を設けるようなことはしてはならない。生きるからには、終焉を迎えるまで「活躍」できるよう努力すべきである。
もし、やり残した事があるのなら、冥土から迎えがきたとしても「もう少し待ってくれ!」とお断りしなさい。
※言葉の解釈は、あくまでも編集部おける独自の解釈です。
改めて、今回の渋沢栄一の言葉を噛み締めてみますと、彼は日本経済の礎を築いただけでなく、高齢化社会となった今の日本を予見していたのかもしれませんね。
■渋沢栄一、ゆかりの地
第一回目の「渋沢栄一、ゆかりの地」では、渋沢栄一の生まれ故郷である旧渋沢邸「中の家(なかんち)」(県指定旧跡)をご紹介します。大河ドラマ『青天を衝け』前半の舞台でもありますね。この地は、栄一が生涯を通じて親しんだ『論語』にちなみ、「論語の里」とも呼ばれています。
現在の主屋は、栄一の妹夫妻によって1895年に上棟されたものだそうです。渋沢栄一も、帰郷した際には寝泊まりしていたそうですよ。主屋とともに、副屋や正門・東門、複数の土蔵が現存します。広い敷地からは豪農として栄えた名残が感じられるでしょう。
渋沢栄一の礎を築いた地を訪れ、原点を静かに感じてみられてはいかがでしょうか?
旧渋沢邸「中の家」
住所:埼玉県深谷市血洗島247-1
アクセス:JR深谷駅から車で約20分(駐車場有)
開館時間:9:00~17:00(入場は16:30まで)
休館日:年末年始
入館料:無料
肖像画/もぱ
文・アニメーション/貝阿彌俊彦・末原美裕(京都メディアライン)
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