それでは、正解を発表します!
【クイズ1】
嘉永6年(1853)、4隻からなるアメリカ東インド艦隊が浦賀沖に現われ、江戸庶民を驚かせました。しかし、幕府首脳はその1年も前に艦隊来航の事前情報を得ていました。では、どこから得ていたのでしょう?
(い)朝鮮通信使が将軍に上奏した報告から
(ろ)長崎に入港した中国船提出の「唐風説書」から
(は)日本の開国を狙うイギリス海軍筋の情報から
(に)長崎のオランダ商館長が提出した「阿蘭陀別段風説書」から
正解(に)
嘉永5年(1852)6月、オランダ商館長にクルティウスが着任し、最新海外情報に関する報告書「阿蘭陀別段風説書」で、翌年3月、アメリカ艦隊が通商を求めて日本に来航することを知らせた。
【クイズ2】
《泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たった四はいで 夜も寝られず》
これは、ペリー来航時の様子を風刺したといわれる狂歌です。「上喜撰」は「蒸気船」とかけて用いた言葉ですが、「上喜撰」とは何を表す言葉でしょう?
(い)お茶
(ろ)刀
(は)鉄砲
(に)酒
正解(い)
「上喜撰」とは高級茶の銘柄。問題文の川柳は、幕府がたった4隻の蒸気船(黒船)で夜も眠れないほど動揺する様子を詠んでいる。
【クイズ3】
嘉永6年、アメリカ海軍の東インド艦隊が来航したとき、司令長官ペリーが乗船していたサスケハナ号に、日本側から小船に乗った浦賀奉行所与力中島三郎助らが近づき、第一声を英語で呼びかけました。これを日本語に訳すとどうなるでしょう?
(い)私は敵ではありません
(ろ)私は話し合いをしたい
(は)私を撃たないでください
(に)私はオランダ語を話します
正解(に)
中島三郎助はオランダ通詞の堀達之助を伴い、呼びかけた。当時、英語を正式に学んだ者は日本にいなかった。アメリカ側は日本の事情を調べており、オランダ語の通訳を乗船させていた。
【クイズ4】
嘉永7年(1854)、ペリーは2度目の来航に際し、望遠鏡やミシンなど、さまざまな文明の利器を持参し、幕府に献上しました。そのなかで、横浜で動かしてみせ、幕府の役人たちを驚かせたものとは、どれでしょう?
(い)活動写真
(ろ)気球
(は)蒸気機関車の模型
(に)機関銃
正解(は)
ペリーが走らせたのは、実物の4分の1の蒸気機関車の模型。なお、ペリーが贈ったミシンは、13代将軍家定の正室である天璋院が最初に使ったという。
【クイズ5】
ペリーが再来航した嘉永7年、吉田松陰はある企てに失敗し、その1件で罪に問われました。このとき彼が企てたのは、どんなことでしょう?
(い)密航しようとした
(ろ)老中を暗殺しようとした
(は)江戸の町に放火をしようとした
(に)公使館を焼き討ちしようとした
正解(い)
ペリーの初来航時、吉田松陰は浦賀まで黒船を見に行って、衝撃を受け、日本を守るために西洋を知る必要があると痛感。翌年の再来航の際に密航を企てたが、失敗に終わる。
* * *
いかがでしたか? ペリー来航は有名な出来事ですが、その裏には様々なエピソードがあったのですね。
江戸検定での問題の正解率は、すべて50%以上でした。少し簡単だったかもしれません。
【問題の出典】『“通”になる“粋”になる 江戸検クイズ百問答<事件編>』
取材・文/オノハルコ(晴レノ日スタヂオ)