《いまも私は、大石内蔵助(おおいし・くらのすけ)が食べたようにして間鴨(あいがも)と生卵を食べる。だれにでもできるし、なかなかにうまい。ただし、飯が、ほんとうの炊きたてでないと美味は減じてしまう》(池波正太郎「卵のスケッチ(A)」より)
時代小説の名手で食通でもあった池波正太郎(1923~1990)が好んだのは、赤穂浪士と関係するちょっと特別な玉子かけご飯だった。池波は「卵のスケッチ(A)」と題する随筆の中で、討ち入りの夜、堀部弥兵衛宅に集った大石内蔵助らに出された食事についてこう記している。
《堀部父子の妻たちは台所へ入り、腹ごしらえのための飯を炊きはじめていたが、そこへ細井広沢が生卵を持ってきたので、(略)大鉢へ生卵をたっぷりと割り込み、味をつけたものの中へ、鴨肉ときざんだ葱を入れ、これを炊きたての飯と共に出した》
池波は続けて、大石内蔵助をはじめ一同は、この焙った鴨肉入りの玉子かけご飯を大喜びで食べた、と綴っていく。いったいどんなものだったのか、再現してみた。
赤穂浪士も食べた!? 「焙り鴨肉入り玉子かけご飯」の作り方
いかがだろうか。先の逸話を裏づける史料や出典は実のところ不明で、当夜、堀部家で供された献立の詳細は明らかではないらしい。ただ、池波正太郎が討ち入り直前の大石らの身の上に思いを馳せ、この玉子かけご飯を食していたのは確かなこと。お試しあれ。
取材・文/矢島裕紀彦
撮影/片山虎之助
(本記事はサライ2015年6月号に掲載されたものです)