「布袋君とロンドンのフラットで一緒に曲作りをしました」
1991年に布袋くん(布袋寅泰さん)のアルバム『GUITARHTHZMⅡ』を制作するときも、ロンドンで1か月ほど同じフラットに住み、一緒に曲作りをしていました。このときに、自分の中にぐつぐつとしていたものを爆発させることができたという実感があったんです。それは、アーティスト・布袋寅泰に出会ったから。布袋くんとは以降30年以上、100曲の作品を作り続けています。
お互いにプログレッシブ・ロックから多大な影響を受けていたこともあり、制作はとても楽しいんですよ。メロディーがあり、そこに言葉が乗り、アーティストが表現する。それが1995年の『POISON』、『スリル』のビックヒットへとつながっていきました。
僕は1976年に作詞家としてデビューし、1980年代はアイドル曲、アニメソングと当時は自由だったジャンルで「何か新しいことをしたい」と進み続け、1990年代にロックに原点回帰したのです。
――2000年代は、中学生時代の森さんが影響を受けたバンド・ジャックスの早川義夫さんから作詞を依頼され『天使の遺言』を書いた。また、第三舞台の名作『天使は瞳を閉じて』のミュージカル化において作詞と音楽プロデュースを担当。ブロードウェイ・ミュージカル『CHICAGO』、『回転木馬』ほか多くの名作の訳詞や音楽を手がけ、テレビ番組出演、朗読劇の主催もしながら、作詞家として楽曲に携わるなど八面六臂の活躍をする。
これらは、僕の中に積み重ねて来たもののつながりが、表現になっただけなんです。出てくる形は違いますが、根底はすべて音楽であり、やはりプログレッシブ・ロックなんです。
プログレってなんでしょうね……音楽として美しく、文学的であり、キュビズムでありダダイズムであり、クールでハッピーでポジティブ。そして、スペーシーかつ未来的な要素も混ざっている、気持ちのいい違和感ともいえますね。
今、いろんな方とお会いしますが、「森雪之丞」という名前で連想するものが、人によって違うんです。現在、50代かそれ以上の人は、僕はアイドル曲の作詞家だと思っている。40~50代の人は、アニソンの作詞家として覚えていただいている。30~40代の人は僕をミュージカルプロデューサーとして、記憶していただいているんですよ。
――森さんは布袋さんと出会い、「ぐつぐつしていたことが爆発した」と語った。今、70代で最初に爆発させたことは自選詩集『感情の配線』の出版だという。
70代という、未知のジャングルに分け入ることになって、1994年に初の詩集『詩画集 天使』以降の5冊の詩集を振り返ったんです。
選んでいるときに、過去の作品は、今の僕からすれば、若いと思う部分もありますが、そういう作品を選んでいるうちに、言葉を生き返らせるというか。実際に読み直して感じたのは、そこに一人の人間がいるんですよ。
30 年分の詩集には、その人間が、30年間、詩を書き続けたという積み重ねなんですよね。そいつは、言葉を斜めに投げたり、かき混ぜたり、必要以上に遊んだりするようなやつなんだと、改めて感じました(笑)。この詩集の制作をしたことで、またいろんなことが僕の中に生まれました。
古希を迎え、自選詩集の出版で、過去の自分自身と向き合った森さんは、リスタートのスイッチを押したようにも感じた。次回では「老いへの考え方」について詳しく伺う。
●森雪之丞さんの最新詩集
構成/前川亜紀 撮影/乾晋也