文・写真/鳥居美砂
ニューオリンズで、毎夜ジャズ、リズム&ブルース、ロック……とどっぶり音楽に浸かったあと、いよいよ“我が心の絶景”と思い焦がれていたブルースの聖地「クロス・ロード」へ向かった。目指すは、ミシシッピ州クラークスデール。さあ、アメリカ南部、ディープ・サウスへの車の旅が始まる。
ニューオリンズの市街地を抜けると、車窓にはスワンプと呼ばれる湿地帯が広がる。水没した森があったり、湖のように広い水面を水草が覆っていたり、まず日本では見かけない光景だ。
I-10号線からI-55号線に入り、一路北へ走る。アメリカのフリーウェイはそのほとんどが無料なので、料金所もなければ、日本のようなパーキングエリアも存在しない。ガソリンを入れるときや食事をとるには、フリーウェイ沿いの街に立ち寄る。
最寄りの街にどんな施設があるのか、宿やレストランなどを紹介する案内板が立っていて、よさそうな店(ほとんどファストフードですが)があれば、その街でフリーウェイを降りるのだ。
さらに、アメリカを車で旅するときに便利なのが、州境近くに設けられたウェルカム・センターだ。今回はニューオリンズのあるルイジアナ州から、ミシシッピ州に向かうので、ミシシッピ州に入ってすぐのウェルカム・センターで情報を仕入れた。
ウェルカム・センターにはドライブマップのほか、主な観光地や博物館などのパンフレットが置いてあり、大抵は常駐しているボランティアの人にいろいろ尋ねると、親切に応えてくれる。
レンタカーはカーナビ(GPS)をオプションで頼んだが、後付けのもので、とても高性能とは言い難いシロモノ。やはり、地図が頼りになる。
数々のミュージシャンを輩出したブルース発祥の地、クラークスデールへ
州都のジャクソンを過ぎてフリーウェイを降り、田舎道をひた走る。ミシシッピ州北西部のこのあたりはミシシッピデルタといわれ、その肥沃な土地は綿花作りに最適だ。「おぉ、これがC.C.R(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)の『コットン・フィールズ』の景色か」と、曲の中で知る世界が目の前に広がるだけで感激する。
夕刻、やっとクラークスデールに着いた。宿にチェックインすると同時に、「クロス・ロード」の場所を聞いた。「ホテルを出て右に曲がって、また右に曲がれば見えてくる」という返事だったが、すぐにはわからなかった。
あきらめて、ポークリブ(スペアリブ)のレストランに向かったが、ちょうど店を閉めるところだった。ホテルで教えてもらったレストランは、あとはステーキハウスしかない。
車に乗り込もうとした、まさにその時だった。目の前に、「クロス・ロード」のモニュメントが現れた。ガイドブックなどで何度も見かけた、あのギターのオブジェだ。
それは、頻繁に車が行き来する交差点に立っていた。あまりに街中で、それも交通量が多い新道のため、まさかこんな場所にあるとは思わずに、見逃していたのだ。
これが……。絶句のあとにため息が続き、やがて笑ってしまった。
そりゃそうだろう。ブルース・ギタリストのロバート・ジョンソンがギターのテクニックと引き換えに、「クロス・ロード」で悪魔と取引したというのは1930年代中頃のことである。
今も、トウモロコシ畑の真ん中に、土埃が舞うような十字路があるとは思ってはいない。しかも、ブルース・ファンがまことしやかに語り継いでいるのは、あくまでも伝説なのである。
ロバート・ジョンソンは27歳という短い生涯の中で、29曲を残している。エリック・クラプトンがクリーム時代からカバーしている『クロス・ロード』は、もとはロバート・ジョンソンの『クロス・ロード・ブルース』だし、ブルース・ブラザーズでもお馴染みの『スィート・ホーム・シカゴ』も彼の曲だ。
クロス・ロード伝説をモチーフした同名の映画もある。その音楽を担当したのは、ライ・クーダー。悪魔役を演じたのは鬼才、フランク・ザッパの門下生というスティーヴ・ヴァイだ。こちらも役者が揃っている。
ちなみに、この伝説を追う主人公役は空手映画の『ベスト・キッド』シリーズで知られるラルフ・マッチオで、ギタリスト役でもなかなか健闘していた。
現実の「クロス・ロード」を前にして、今まで聴いてきた曲のフレーズや映画のワンシーンが頭の中をぐるぐる回る。正直気落ちはしたが、そんな伝説を信じた、いや、今も信じられる自分の青臭さがなんだか可笑しくなってきた。
クラークスデールは、数々のブルース・ミュージシャンを輩出している街でもある。ジョン・リー・フッカー、アイク・ターナー、サム・クック、そしてマディ・ウォーターズも幼少期にこの街に住んでいた。
これらのミュージシャンのブルース魂に触れたいなら、『デルタ・ブルース・ミュージアム』に行くとよい。館内にはマディ・ウォーターズの生家が再現されていて、とても家とは呼べない貧しい小屋でびっくりした。黒人奴隷たちは綿花畑で過酷な労働を強いられ、その憂いを音楽に託したのだろう。
その後、彼は成功して高級車を乗り回すように。その愛車も展示されていた。この俗っぽさも、たまらない。
もう1か所、クラークスデールで行ってみたかった場所がある。それは、名優モーガン・フリーマンも経営に携わるライブハウス『グランド・ゼロ・ブルース・クラブ』だ。
ライブハウスに着いたのは、夜の10時を過ぎた頃。盛況とまではいかなくても、結構な人で賑わっていた。地元の常連客もいるが、隣に座っていた若者たちはラスベガスからバイク(ハーレー・ダビッドソン)で来たそうだ。
彼らとは翌朝、『デルタ・ブルース・ミュージアム』でも会った。この後は、メンフィスにあるギターのトップブランド『ギブソン』に向かうという。
オーストラリアから来たカップルとも話をした。彼らも、音楽を巡る旅人だった。年齢や国籍が違っても、ブルースを愛する人はいるものだ。
次回は、黒人音楽と白人音楽が出会ってロックが生まれた街、メンフィスを目指す。
文/鳥居美砂
ライター・消費生活アドバイザー。『サライ』記者として25年以上、取材にあたる。12年余りにわたって東京〜沖縄を往来する暮らしを続け、2015年末本拠地を沖縄・那覇に移す。沖縄に関する著書に『沖縄時間 美ら島暮らしは、でーじ上等』(PHP研究所)がある。『サウンド・レコパル』などで音楽記事も担当。