『麒麟がくる』に織田信長(演・染谷将太)が登場して3週目にして、信長が松平竹千代(後の徳川家康)の父・松平広忠(演・浅利陽介)の殺害に関与していたという衝撃的な展開が繰り広げられた。
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ライターI(以下I):(松平)広忠の首って…。ちょっとこの展開はびっくりです。広忠の死に信長が関与していたとはにわかに信じ難いのですが。
編集者A(以下A):スリリングで面白い展開だと思って見ていましたが(笑)。ただ、確かに驚いた人もいたかもしれません。ちなみに1983年の大河ドラマ『徳川家康』では、近藤正臣さん演じる松平広忠を村田雄浩さん演じる岩松八弥が殺害したという展開でした。これは山岡荘八さんの原作通りの設定です。
I:『麒麟がくる』で稲葉良通(一鉄)を演じている村田雄浩さんが広忠を暗殺していたわけですね。
A:37年前の『徳川家康』を見ていた年配の方などは、今回の設定にびっくりしたかもしれません。『岡崎市史』によると、〈西加茂郡広瀬の佐久間九郎左衛門全孝が岩松八弥と云う者を刺客として〉送り込んだとしています。裏付ける史料はないようですが、〈佐久間九郎左衛門〉が織田家重臣となる佐久間信盛と同族で、広忠殺害にも織田家が関与していると考える人もいるようです。
I:広忠の死因は、単に病死だったという説も多いんですよね?
A:そうなんです。大久保彦左衛門が著した『三河物語』ではあっさりその病死を伝えているだけですし、『徳川実紀』なども病死説。ただし、これは、二代続けて当主が不慮の死を遂げたことを憚ってのものだともいわれています。
I:どういうことでしょう。
A:広忠の父で家康の祖父にあたる松平清康も若くして殺害されています。これも尾張の織田信秀が絡んでいるともいわれていますが、さすがに清康、広忠と続けて殺害されたのでは体面が悪いので広忠は病死ということにしたという説です。
●織田家と松平家「仁義なき戦い」の末
I:広忠殺害に織田家が関与していたというのは有りなんでしょうか?
A:実は、広忠殺害に織田家が関与していたという『岡崎市史』に収録された史料もあるんです。〈廣忠公、天文十八年三月鷹狩ノ節、岡崎領分渡利村ノ一揆生害ナシ奉ル。尾州織田弾正忠武略…〉とあります。 出典は『三河東泉記』。織田弾正忠が渡利村の一揆を扇動して、鷹狩に出ていた広忠を討たせたというものです。
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